2015年01月20日
沖縄に潰えた軍旗 19
歩兵第22聯隊 19
通称号 山3474部隊、第24師団 歩兵第22聯隊の軌跡
(楚辺海岸の聯隊砲陣地 2)
楚辺海岸の聯隊砲陣地は、浜より右手、沖に突き出た岬の汀を20数メートル歩いた場所に位置する。 砲座(陣地)へは、干潮の時にのみ容易に渡ることが出来る。 この時は特に大潮の暦でもないが、中潮の最干時、潮高は68センチ、空模様は良くないものの波の穏やかな昼下がりであった。
楚辺集落の外れ、岩場を抜けて海岸へ降りると、潮汐通りに潮は引き、浜の右手には岩場が露出、その岩場には潮溜まりが点在していた。 険しい隆起珊瑚礁の続く足下に注意を払い、潮溜まりの浅い場所を選んで歩を進める。 濡れることを気にしなければ、少々潮が高くても構わないが、リーフの内側とは云えシナ海の荒れている時は危険である。 しかし約70年の昔日、聯隊砲小隊の将兵は、少々の波浪など顧みる事無く、砲座の完成を急いだことであろう。
聯隊の沖縄進出以降、聯隊本部の置かれた牧原農事訓練所では、作戦計画の検討会議が度々行われていた。 その際、各大隊長は指揮下の中隊長を連れ、各部将校と共に同所に集まるのが常であった。
昭和19年10月2日、いつも通りに聯隊長以下、聯隊の幹部将校は訓練所の一室に集合。 この日、約30名の聯隊幹部が参集し、3大隊長、中隊長を最前列として、教卓の前に着席した。
海蝕洞の岩場
砲座の遺る海蝕洞へ、潮の引いた足下の岩場には、アオサが生えている。
砲座
海蝕洞の窪みを利用し、コンクリートで成形された砲座。
大きく開くのは破損した出入口、約10メートルがコンクリートで仕切られ、右手には観測用の展視口が見える。
通称号 山3474部隊、第24師団 歩兵第22聯隊の軌跡
(楚辺海岸の聯隊砲陣地 2)
楚辺海岸の聯隊砲陣地は、浜より右手、沖に突き出た岬の汀を20数メートル歩いた場所に位置する。 砲座(陣地)へは、干潮の時にのみ容易に渡ることが出来る。 この時は特に大潮の暦でもないが、中潮の最干時、潮高は68センチ、空模様は良くないものの波の穏やかな昼下がりであった。
楚辺集落の外れ、岩場を抜けて海岸へ降りると、潮汐通りに潮は引き、浜の右手には岩場が露出、その岩場には潮溜まりが点在していた。 険しい隆起珊瑚礁の続く足下に注意を払い、潮溜まりの浅い場所を選んで歩を進める。 濡れることを気にしなければ、少々潮が高くても構わないが、リーフの内側とは云えシナ海の荒れている時は危険である。 しかし約70年の昔日、聯隊砲小隊の将兵は、少々の波浪など顧みる事無く、砲座の完成を急いだことであろう。
聯隊の沖縄進出以降、聯隊本部の置かれた牧原農事訓練所では、作戦計画の検討会議が度々行われていた。 その際、各大隊長は指揮下の中隊長を連れ、各部将校と共に同所に集まるのが常であった。
昭和19年10月2日、いつも通りに聯隊長以下、聯隊の幹部将校は訓練所の一室に集合。 この日、約30名の聯隊幹部が参集し、3大隊長、中隊長を最前列として、教卓の前に着席した。
海蝕洞の岩場
砲座の遺る海蝕洞へ、潮の引いた足下の岩場には、アオサが生えている。
砲座
海蝕洞の窪みを利用し、コンクリートで成形された砲座。
大きく開くのは破損した出入口、約10メートルがコンクリートで仕切られ、右手には観測用の展視口が見える。
Posted by 酉 at 12:00│Comments(0)
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