2015年02月11日

沖縄に潰えた軍旗 24

歩兵第22聯隊 24
通称号 山3474部隊、第24師団 歩兵第22聯隊の軌跡
(楚辺海岸の聯隊砲陣地 7)

目標と弾着を観測する展視口は、洞内の東端、砲座とは対称的な位置に設けられている。 展視口は洞内の壁面ぎりぎりに開口し、その接眼部の大きさは 高さ15センチ×幅40センチ弱。 双眼鏡を辛うじて差し込める大きさながら、水平方向は外部に向かって大きく広がっている。 砲側より距離を隔て、恐らくは砲煙の影響を受けず、弾着の観測を続ける為の配置と思われる。 展視口から覗く景色、それが火砲の射界であった事と覗え、その半ば近くは、北谷方面への陸岸である。
水平射界の狭い41式山砲により、陸岸へ向け航行する上陸用舟艇の側面を追従、射撃する事は、困難であった筈。 その為、陸岸近くの鹿砦により速力が落ち、或いは停止した艇、ビーチングした船艇を狙い、橋頭堡の確保を妨害しようと企図したものと思われる。

牧原の聯隊本部に於いて惹起した急造爆雷の爆発事故により、聯隊長を含む聯隊幹部の1/3が重傷を負い、嘉手納の陸軍病院へ入院する事態となった。 その殆んどが、最前線で戦闘指揮を取る中隊長であったと云われ、この様な最中に敵が上陸を企図すれば、作戦指導もまゝならぬ状況であった。 しかし8日後の昭和19年10月10日、敵の本格的空襲 10.10空襲 に膚接、傷も癒えぬままに退院し、自らの指揮所へ復帰せざるを得ぬ事となった。

 展視口からの景色
幅15センチの間隙からは、北谷方向への自然な汀が望める。
沖縄に潰えた軍旗 24

 展視口全景
恐らくは火砲の指揮を掌る、分隊長の位置した観測場所。
今は出入口が剥き出しながら、擁壁の厚みは50センチ程ある。
沖縄に潰えた軍旗 24

※地図は 沖縄に潰えた軍旗 19 追記をご覧下さい※


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