2011年02月04日

沖縄での余暇 18

遊技場(マシン屋) 12
コザの一隅で小さな灯火が揺れる中、 
 各処では時流に翻弄され、後れ先立つお店もあった。(コクサイ / その2)

まあ、どうでもよい話か。 コクサイは地元の雄としてサンパルコ、オメガ等と共に、一時期は県内に数店舗を営業していた。 真栄原十字路、普天間三叉路、池武当、そしてコザ十字路の本店と全4店舗。 地に指したお店らしく、どの店舗も設置台数100台程度の、比較的小振りな店舗。 立地も多くの遊技場が集中する国道58号線からは大きく外れ、周辺住民を客層と捉えていたと思える。 或いは、今は衰退した各処の「社交街」。 妖艶な看板の蝟集する雑居ビル、そのネオンの輝きが、かつては煌々としていた事と覗える。

しかし市街地を外れた一店舗、池武当店だけは、大きな店構えをしていた。 嘉手納エアベース(KAB)北東の県道沿いながら、広い間口、広大な駐車場を備え、日が暮れれば煌々と輝くネオンを冠し、ベースから帰宅する人々を誘う。 やや距離をおいて東には、サンパルコも店を構えており、最盛期には池武当交差点界隈、大型店3店舗が店を出していた。

闇に浮かぶ不夜城の如きKAB沿いの一隅ではあったが、もとより平成に入ってからは遊行客の低迷、続く例の事件以降、一気に消滅の路を辿る。
1店(店名忘失)は、例の事件の連座により閉店。 不況の折から、サンパルコは会社更生法の手続きに入り、同所在の店舗は身売りに出されたと記憶する。
それは池武当のサンパルコが看板を降ろした頃であろうか。 嘉手納より胡屋へと向かう車窓より臨む、池武当交差点の手前にコクサイの店構えは失せ、赤土の大地へ復していた。 名残りを惜しむ思い入れもないが、コクサイ自体の終焉も、そう遠くない事と容易に想像された。

 コクサイ池武当店
正式には「ニューコクサイ」と称する。 (2001年7月撮) このとき既に、客付きは末期状態。 広い駐車場に数えるほどの車、1シマに一人の客と、お寒い店内であった。 バス移動が主で、辺鄙な立地の同店舗へは、足繁く通った訳ではないが、印象には深い。 最初で最後のこの写真も、無駄に鮮やかな蒼空を背に、色褪せた看板が、夢の跡を伝えている。
沖縄での余暇 18


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Posted by 酉 at 12:00│Comments(0)余 談
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