2010年09月24日

開発の影で消える戦跡 63

那覇市 おもろまち西方 7
那覇市北部に位置する高台、新都心として開発が為された地域。
上之屋1丁目15番附近から南方、かつての高眞佐理屋原。

前回 「おもろまち西方 6」 の一部続きになるが、この泊配水池が据わる高台を かつては「高眞佐理屋原」と称していた。 丘陵は顕著に屹立してはいないが、台地の南縁に沿って、東西細長くに横たわっていた。 昭和初期に上之屋の浄水場が開設されて後も、地形には然したる変化はなかったと聞く。 浄水場敷地一帯は、戦後9年の後に米軍から返還。 那覇市によって、再び泊浄水場として復旧されたが、昭和63年、水質の悪化と取水量の低下により閉鎖。 水源(宜野湾市大山近郊)の開発による保水力の低下と水質の悪化、そして急増する人口にも堪えられなかった事と思われる。

この高眞佐理屋原を作戦地境とし、独立混成第15聯隊 第2大隊第6中隊が守備。 高眞佐理原の以北以西を(臨編)独立第2大隊が守備していた。
独立第2大隊の通称号は、暁16789。 暁部隊の異名を持つ船舶部隊のひとつ、海上挺進基地第2大隊の事であった。 部隊は広島県宇品で編成し、昭和19年9月に阿嘉島へと進出。 海上挺進第2戦隊(マルレ艇:通称青がえる)の基地整備、後方支援が本来の主要任務であった。

昭和20年2月17日、「軍は緊迫せる状況に即応する為、各海上挺進基地大隊を戦列に組織(中略)独立混成第44旅団長の指揮下に入らしめ、爾後独立第2大隊と呼称す」 逼迫する戦況と孤立無援の沖縄島で、海上基地7コ大隊を陸戦部隊として臨時編成。 以降は座間味島の海上挺進基地第1大隊、渡嘉敷島の同第3大隊と共に本島へと移駐、苛烈な地上戦へと投入される。
非情なる戦場に、軍民の隔てなく戦禍は襲い、兵科の隔てなく前線へと送り込まれた。

 竣工間近の泊配水池(2004年4月撮)
南方に臨んでおり、配水池の背面に高眞佐理の拝所がある。 配水池の位置が丘陵の最高点、高眞佐理屋が故郷を偲び、アヤグを謡った狼煙台(火立屋)が在った場所と思われる。
浄水場は配水池の左手、東方に在ったが、僅かの痕跡も残されていない。 丘陵の斜面は無惨に斬り取られ、擁壁のコンクリートは無粋な段々を形成する。 最近の沖縄では見慣れた景色。
開発の影で消える戦跡 63
配水池のデザインは、山原船の帆をイメージしていると云うが、到底考えられないセンスだ。



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Posted by 酉 at 12:00│Comments(0)景 色
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