開発の影で消える戦跡 224
与那原町与那原
街角から消える戦禍の記憶 12 / 最終章
かつて街角に散在した戦争遺跡、
歳月を重ね姿を変え、或いは永久に消え去りゆく
首里の山上を離れ、ここは本島東岸かつての港町、与那原町の一隅である。 かつてと記す様に、古い海図や水路誌には、避泊地としての情報が記載されているものの、近年の書誌には少ない。 事実、現在の与那原沖に商船の船影は全く見られない。 中城湾に見える船影、錨泊する船舶は、専ら南西石油のある西原沖に蝟集し、若干が中城湾の奥底、佐敷沖に停泊する。 何れも船舶は目的地の附近に停泊し、与那原には目的地が存在しないのが、その理由である。
与那原には沖縄戦の以前より中城湾臨時要塞司令部(後に重砲兵第7聯隊)が置かれ、兵舎、司令部施設が所在した。 そして昭和19年11月、海上挺進基地第27大隊(球10173)が沖縄に上陸。 大隊はマルレ艇掩蔽壕を与那原近郊に設営し、後に海上挺進第27戦隊(球19766)が駐屯した。 昭和20年5月23日頃には、首里側背を守る要衝として市街戦が展開されたと云われる。
与那原町立 港地区コミュニティーセンターの裏手には、弾痕の刻まれたコンクリート塀が僅かに残る。 その塀は防潮堤跡に接続され、この沖側にはかつて浜が存在した事を僅かながらに伝えている。 しかし現在、そこに浜は存在せず、そればかりか海さえも存在しない。 見えるのは水路の如き放水路と広大な埋め立て地である。
歴史の傷痕、戦禍の記憶は街角から消え、生活の糧であった海は埋め立て地に変わった。 そこは宅地とともに、大小の第三次産業施設、そして広大な空き地が続く。 この弾痕も遺されているのではなく、偶々残っていただけに過ぎず、何れもその行く末を知る事はできない。
塀に残る弾痕
小口径の銃弾、与那原での市街戦、掃討の痕跡と見られるが委細は不明。
塀の遠景
切り取られた戦前の防潮堤、押し込まれたコンテナハウスの陰に僅かながら覗く。
埋め立て前の与那原の姿を伝える防潮堤、その痕跡も、ここに残るのみである。
関連記事