戦世(いくさゆー) 500
うるま市平敷屋 とうの御嶽 前篇
旧勝連町 勝連半島の南端、
平敷屋集落の住宅街に位置する拝所
平敷屋は勝連半島の南端に位置する集落であり、かつて(平成17年迄)は勝連町に属していた。 合併までは半島の西側を勝連町、東を与那城町に分け、行政サービスも異なっていた。 両町は、明治年間の町村制施行より勝連村、与那城村に違え、この頃より両町に配慮した名称「与勝」が発生したと考えられる。 いかし今や両町(正しくは2市2町)の合併より12年が経過し、与勝半島と云う名称は次席へと追い遣られ、その名を冠した施設は今後増えそうもない。
閑話休題 大正8年の地形図に拠れば、平敷屋集落は現在の県道8号線より西側に位置している。 恐らくは、半島東西の斜面を避け、高台の平地に集落が発達した結果と思われる。 また、集落の西には西の御嶽、半島の南端には東の御嶽が位置する他、集落の中心にはヒッチャマーと称する氏神様を祭るお社が立っている。
とうの御嶽は集落内5箇所の御嶽のひとつであり、主に子孫繁栄、安産を助ける神が祀られている。
とうの御嶽
集落内の街路の途中、コンクリート製の祠に神石が祀られている。
標識に導かれ立ち寄るが、その成立由来、祠の建立時期などは不明。
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