2018年02月28日

開発の影で消える戦跡 228

西原町棚原 棚原観測所壕 4
首里複廓陣地の第二線、棚原高地の一隅、
 かつて軍の構築した着弾観測所跡が存在した。

観測所壕と称されてはいるが、この壕を構築した、或いは使用した部隊名を見た験はない。
敵上陸の以前、師団砲兵隊の野砲兵第42聯隊(山3480)、及び独立混成第44旅団砲兵隊(球7072)は、それぞれ師団長、旅団長の隷下に置かれ、北正面に指向した放列を敷いた可能性は低い。 一方で第9師団(武部隊)の抽出前後を通じ、那覇以北には師団砲兵を持たない第62師団が布陣し、その支援には主に軍砲兵隊(5A)があたっている。

沖縄戦の開戦以前、昭和19年9月11日下令の第5砲兵隊命令に拠れば、防衛戦闘計画 第1案として隷下重砲兵隊(他)へ 「大山以南那覇ニ到ル間ニ重点ヲ指向スル場合」 として 「主ナル観測地帯」 の欄に、「棚原」の具体的文字や近隣の地名さえ記されていない。 しかしその後、第9師団の抽出など配備変更(作戦変更)があったので、第5砲兵団(球9700)の作戦にも影響を与え、重砲の射撃区域、放列と共に、観測所の位置も変更があったと考えられる。

東へ分岐した坑道は2メートル程度に拡幅された広間か設けられ、その奥で観測所の設けられた坑道と連絡していた。 ニービの岩盤下に空間は続いていたが、クチャの側壁は崩壊が著しく、狭隘な坑道の一部では四つん這いで潜り抜けた。 東側の坑道へ出ると、右手遠方には壕口からの明かりが僅かに見え、空気の動きも感じ取れた。 左手には観測所が開口するのだが、それがために換気は宜しく、乾湿を繰り返したクチャの壁面は崩れ、往時の様相は判然としない状況であった。

 連絡坑道
分岐部分の広間と奥へと続く連絡坑道。
開発の影で消える戦跡 228

 東側坑道
掩蓋には堅牢なニービの岩盤が続くもクチャの壁面は乾燥に崩れ、70余年の間に荒れ果ててしまっていた。
開発の影で消える戦跡 228


タグ :西原町

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