2018年03月03日

開発の影で消える戦跡 231

西原町棚原 棚原観測所壕 7 / 終章
首里複廓陣地の第二線、棚原高地の一隅、
 かつて軍の構築した着弾観測所跡が存在した。

この観測所壕の構築、及び使用した部隊は詳らかではない。 但しその構造から独立工兵第66大隊(球10279)が第5砲兵司令部(球9700)の指導で築城し、行間に記された棚原の地名の多さから、独立重砲兵第100大隊(球18804)が用いたものと推定する。
昭和20年4月6日、棚原陣地に所在した独重第100大隊 第2中隊の火砲2門(15K)は、北中飛行場に対し制圧射撃を開始する。 しかし同12日11時頃、敵迫撃砲弾が陣地内に落下し装薬に延火、人員火砲は陣地諸とも爆砕したと遺されている。 生還した臨篇海軍砲大隊長の手記に拠れば、独重第100大隊長は自らの指揮する将兵火砲の最期を眼下に臨んだと記され、棚原より臨んだ千原の火砲ではないかと考えている。

第5砲兵団は首里北方で早くから戦闘に参加し、隷下の野戦重砲兵第23聯隊(球3109)、独重第100大隊、独立臼砲第1聯隊(球3666)、迫撃砲諸隊の人員火砲共損害が大きかったと云われる。

県内には戦火に潰えた重砲が、公の場所に2門遺されている。 何れも晒し者の如く露天に放置されているが、砲兵操典 綱領曰く 『火砲ハ砲兵ノ生命ナリ、故ニ砲兵ハ必ズ是ト死生栄辱ヲ共ニシ』 なければならず、ともに沖縄戦に潰えた砲兵の墓標と称しても過言ではない。

 壕口
砲撃中は連絡兵が着弾修正に、或いは通信兵が断線した有線の保線と、頻繁に出入りしたものと思われる。
開発の影で消える戦跡 231

 附近景色
壕口附近、棚原高地中腹から南方向への景色。
左手には 上原△157高地 から続く稜線(琉大医学部)、眼下には 師団野病 棚原分室 の遺る丘陵(キリスト教短大)、遠方には運玉森が小雨に霞む。
砲側に斃れなかった砲兵は、この敗路を辿って第二線へと下がって行った。
開発の影で消える戦跡 231

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※現存しません※


タグ :西原町

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