2013年12月03日
忘れられた激戦地 285
西原町上原 上原△157高地 1
守備軍の右翼 東海岸の第一線、
彼我攻防の要衝に位置した高台
西原町の北寄り、上原の一隅には沖縄戦当時、作戦名称を「157高地」と称する高台が存在した。 現在も高台は残存するが、四囲は宅地として造成され、今やその姿は共同住宅の狭間に埋もれている。 現在、高台の中心は上原高台公園となり、その台上には上原配水池が座り、かつての高台の位置を表す。
△157高地は 千原△141.6高地 の南方、 南上原△155高地 の南西、ともに1キロ余りに位置し、西の 棚原△154.9高地 と並び、両高地に拠る第一線を支える後方の重要拠点であった。 更に△157高地は、機動による敵の侵攻を喰い止めるには厳しい低地帯、東海岸道を俯瞰する位置に在り、敵にすれば△155高地に続く大きな脅威であったと見られる。
今や公園として整備され、更に周囲は住宅に囲まれ、その存在すら顕著ではなくなった上原△157高地。 しかし今を遡る60余年、沖縄戦緒戦に於いては要衝として位置し、彼我攻防に弾雨の注がれる激戦地であった。
南上原△155高地より南方の景色(2004年5月撮)
中央遠方の地平には琉大医学部校舎、その左手には上原△157高地、台上に据えられた上原調整池が望める。 琉大校舎の手前、薮から覗くのは糸蒲の塔、地平の左端には 運玉森△161高地 、右端近くには 棚原△154.9高地 が望める。

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守備軍の右翼 東海岸の第一線、
彼我攻防の要衝に位置した高台
西原町の北寄り、上原の一隅には沖縄戦当時、作戦名称を「157高地」と称する高台が存在した。 現在も高台は残存するが、四囲は宅地として造成され、今やその姿は共同住宅の狭間に埋もれている。 現在、高台の中心は上原高台公園となり、その台上には上原配水池が座り、かつての高台の位置を表す。
△157高地は 千原△141.6高地 の南方、 南上原△155高地 の南西、ともに1キロ余りに位置し、西の 棚原△154.9高地 と並び、両高地に拠る第一線を支える後方の重要拠点であった。 更に△157高地は、機動による敵の侵攻を喰い止めるには厳しい低地帯、東海岸道を俯瞰する位置に在り、敵にすれば△155高地に続く大きな脅威であったと見られる。
今や公園として整備され、更に周囲は住宅に囲まれ、その存在すら顕著ではなくなった上原△157高地。 しかし今を遡る60余年、沖縄戦緒戦に於いては要衝として位置し、彼我攻防に弾雨の注がれる激戦地であった。
南上原△155高地より南方の景色(2004年5月撮)
中央遠方の地平には琉大医学部校舎、その左手には上原△157高地、台上に据えられた上原調整池が望める。 琉大校舎の手前、薮から覗くのは糸蒲の塔、地平の左端には 運玉森△161高地 、右端近くには 棚原△154.9高地 が望める。

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Posted by 酉 at 12:00│Comments(0)
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