2017年09月24日

沖縄に潰えた軍旗 89

歩兵第22聯隊 89
通称号 山3474部隊、第24師団 歩兵第22聯隊の軌跡
 (石隷下の第3大隊 / その1)

昭和20年4月11日、軍旗の下を離れた第3大隊主力(-11Co.1/4MG)は、戦史叢書などでは聯隊本部と共に首里を経て浦添村仲間へ進出。 そして5月6日頃、大隊は幸地~石嶺間に布陣する聯隊主力の陣地に復帰するが、その3週間余の動静は明らかでない。
聯隊の地元である愛媛県の県史(昭和63年刊)にも、沖縄での聯隊の行動に於いて第3大隊についての詳らかな記述はない。 また、比較的新しい愛媛と戦争(平成20年刊)には、4月13日に浦添村仲間へ進出し、(第62師団隷下)独歩第13大隊(石3594)の指揮下で嘉数戦線。 4月20日に安波茶へ後退、翌21日に伊祖城址を攻撃し、5月5日(または6日)聯隊に復帰したとされる。

しかしながら、嘉数に所在した独歩第13大隊 第5中隊将兵の手記にそれらしい記述はない。 また、伊祖城址への夜間攻撃を仕掛けた独歩第15大隊(石3596)第4中隊将兵の手記に拠れば、第3大隊が伊祖城址への攻撃を行った風ではない。

配属先の第62師団司令部の記録に拠れば、4月13日 歩兵2コ中隊を基幹とする第2、第3大隊を隷下に置き、第3大隊は独立歩兵第23大隊長(石4284)の指揮下に入る。 しかし同17日、大隊は現任地のまま第24師団長の隷下に復し、速やかなる原所属への復帰が第62師団司令部より下命されている。 配属先の独歩第23大隊は、4月13日に那覇より嘉数へ進出し、同22日晩まで同地を確保。 浦添村仲間、安波茶地区へと後退しており、独歩第23大隊の資料に第3大隊に関する記述はない。

第3大隊に関する断片的な記録によれば、大隊は第64旅団長の隷下に在ったと考えられる。 その記録とは第10中隊属小隊長の遺稿であるが、これに基づいて第3大隊の3週間を推理する。

 首里石嶺遠景(2011年1月撮)
運玉森西側斜面より望む首里複廓陣地の一角、首里石嶺から南風原町新川附近の高台。 大見武以北の附近に、暫時第3大隊(主力)は待機したものと思われる。
沖縄に潰えた軍旗 89


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Posted by 酉 at 12:00│Comments(0)景 色
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