2013年06月06日
戦世(いくさゆー) 387
西原町棚原 棚原△154.9高地 1
棚原集落の北方に緑の頂は屹立し、
その山嶺は、古にグスクの築かれた地利を有する。
棚原は西原間切に属する棚原村として、古くより人々は居住。 他の集落と同様、季節風を避ける様に丘陵の斜面に位置し、その路地は魔物を除ける為、湾曲して見通しは利かない。 集落の位置する丘陵は、その北方の岩山へ続き、そこは屹立し断崖として急落する。 その周囲を牽制する天然の要害は棚原グスクとして、14~15世紀頃、安慶名大川按司が居城を築いたと云われ、 北方に位置する 千原△141.6高地 には、棚原グスクの出城としてイシグスクが築かれた。
棚原グスクの築かれた岩山、その標高は大正年間の地形図上に154.9メートルと記される。 それが棚原高地の沖縄戦に於ける作戦名称となり、緒戦にその名称は散見され、それは要衝であった事を表している。
この棚原高地を最初に訪れたのは10余年の昔日、件の千原を訪れた序の事と記憶する。 この時は往路をバス、那覇BTより琉大入口へ向かった後、以降は徒歩で千原~棚原~坂田~幸地~首里石嶺の行程。 初夏の行脚は天候にも恵まれ、画像に刻まれた時間から足取りも軽かった事と想像される。 しかしオッサンと化した今、同じ道程を徒歩で辿ろう等とは決して思へない・・。
棚原△154.9高地 / 北面
棚原集落の北側に位置し、特異な形状の岩山であったと云われるが、今はその風貌を緑の下に隠している。

棚原静居苑
古くより墓所として用いられた岩山の断崖は、霊園として整備されている。

棚原集落の北方に緑の頂は屹立し、
その山嶺は、古にグスクの築かれた地利を有する。
棚原は西原間切に属する棚原村として、古くより人々は居住。 他の集落と同様、季節風を避ける様に丘陵の斜面に位置し、その路地は魔物を除ける為、湾曲して見通しは利かない。 集落の位置する丘陵は、その北方の岩山へ続き、そこは屹立し断崖として急落する。 その周囲を牽制する天然の要害は棚原グスクとして、14~15世紀頃、安慶名大川按司が居城を築いたと云われ、 北方に位置する 千原△141.6高地 には、棚原グスクの出城としてイシグスクが築かれた。
棚原グスクの築かれた岩山、その標高は大正年間の地形図上に154.9メートルと記される。 それが棚原高地の沖縄戦に於ける作戦名称となり、緒戦にその名称は散見され、それは要衝であった事を表している。
この棚原高地を最初に訪れたのは10余年の昔日、件の千原を訪れた序の事と記憶する。 この時は往路をバス、那覇BTより琉大入口へ向かった後、以降は徒歩で千原~棚原~坂田~幸地~首里石嶺の行程。 初夏の行脚は天候にも恵まれ、画像に刻まれた時間から足取りも軽かった事と想像される。 しかしオッサンと化した今、同じ道程を徒歩で辿ろう等とは決して思へない・・。
棚原△154.9高地 / 北面
棚原集落の北側に位置し、特異な形状の岩山であったと云われるが、今はその風貌を緑の下に隠している。

棚原静居苑
古くより墓所として用いられた岩山の断崖は、霊園として整備されている。

Posted by 酉 at 12:00│Comments(0)
│戦 跡