2019年12月29日

沖縄に潰えた軍旗 140

歩兵第22聯隊 140
通称号 山3474部隊、第24師団 歩兵第22聯隊の軌跡
 (終焉 / その9)

昭和20年6月10日、聯隊に最期の刻が近づきつつあった。 この日、師団命令により聯隊の1コ大隊を抽出し、前線へ進出させることとなった。 この命令に聯隊長は第3大隊を充て、大隊は真壁より真栄里附近へ進出、歩兵第32聯隊(山3475)長の指揮下に予備隊となる。
真壁より真栄里までは僅か2キロ余り、同じく南へ2キロには、米須△52高地を経て米須海岸へと至り、何処も事実上の背水の陣であった。

聯隊は、5月28日の首里撤退以降、友寄に収容陣地を占領し6月6日に撤収、志多伯に1コ大隊を残置し、7日に真壁へ到着、9日に集結を完了した。 この間の機動は全て徒歩で行われ、9キロ足らずの行程ながら擾乱射撃による犠牲、泥濘に落後した負傷者も少なくなかったと考えられる。
友寄より志多伯間は2キロ余り、志多伯より県道77号線沿いを与座~高嶺大里を経て、県道7号線沿いを真壁集落まで5キロ余り。 筆者は舗装された道路沿いを幾度か行き来したが、寄り道をして3時間、直行した場合で2時間程度であった。 当時の将兵は、完全軍装の武器弾薬を携え、負傷した戦友を支え、足下は泥濘に捕らえられつつ頭上に襲う弾雨を避け、命を懸けた万難辛苦の退路(敗路)であった事が覗える。

この時分、沖縄では平和学習の団体が散見される。 主なルートは展示施設や慰霊碑の見学、更に安全なガマへの入壕程度であり、教員苦心の経路なのであろう。
しかしながら筆者が残念に思うのは、この間全てがバス移動であり、戦火の下に生き斃れた避難民、将兵の辛苦には全く触れていないこと。 足下は舗装され、弾雨の襲う事のない平和な空の下ながら、過密なスケジュールには勝てないか、或いは斯様なことは思慮の中に無いのであろう。

 真壁△85高地
砲兵観測所の置かれた真壁△85高地(真壁公園)の台上より北方、県道7号線を臨む。 右手は新垣集落、集落背後には与座岳の南西嶺が続いており、観測所としては郡道沿いを南下する敵しか、制圧出来なかったと思われる。
真壁△85高地


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Posted by 酉 at 12:00│Comments(0)戦 跡
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