2019年11月10日

沖縄に潰えた軍旗 137

歩兵第22聯隊 137
通称号 山3474部隊、第24師団 歩兵第22聯隊の軌跡
 (終焉 / その6)

昭和20年6月5日、この日、第32軍に与した梅雨は明け、沖縄は高気圧に覆われた。 海空の援護を得た敵地上軍は、侵攻を早め南進している。
正史に遺されてはいないが、この頃、第2収容陣地は敵に制圧されつつあり、友寄を保持するのみであった。 米軍の記録では、第1収容陣地を保持する歩兵第32聯隊(山3475)撤退の頃より、断固とした抵抗を受けることはなく、散発的な嫌がらせや遅延攻撃のみで 喜屋武 附近の作戦地区を占領している。

昭和20年6月6日、殿を任された第1大隊は、ようやく廃墟と化した首里を脱出し聯隊主力に追従した。 大隊とは名ばかりとなり、残置隊を命ぜられた時点で寄集めの下士官兵40数名、軽機1銃と数筒の擲弾筒を頼みとする実力1コ小隊程度の部隊であったが、櫛の歯は欠け更に疲弊していた。

昭和20年6月7日、第1大隊を収容した聯隊主力は、第2収容陣地を撤し真壁に向け後退を開始した。 撤退の時刻は明らかでないが、日没後の機動開始と思われる。 しかし敵と膚接した状態であったと見られ、志多伯に部隊を残置し、追従する敵の妨害に当たらせている。 正史では、この任務を第1大隊に命じたと遺されているが、第1大隊長の手記にその記述はなく、正しくは第2大隊であったと考えられる。

 志多伯附近
志多伯東端より、第24師団第1野戦病院(山3486)の所在した東風平運動公園を望む。(2011年10月撮)
残置隊は、東風平運動公園・西部プラザ公園の優位に火点を置き、志多伯集落の低地を南下侵攻する敵を瞰制挟撃し、事実上兵力、火器弾薬とも限られた状況下、敵先鋒の侵攻妨害、散発的な「嫌がらせ攻撃」に始終したものと思われる。
旧東風平町


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Posted by 酉 at 12:00│Comments(0)戦 跡
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