2019年10月06日

沖縄に潰えた軍旗 134

歩兵第22聯隊 134
通称号 山3474部隊、第24師団 歩兵第22聯隊の軌跡
 (終焉 / その3)

昭和20年6月1日、沖縄戦は最後の暦へと移った。
この頃、友寄の第2収容陣地を占領する聯隊主力を追従するように、敵地上軍との軽戦が記されている。 記録には、敵は「与那原方面」より出現しており、歩兵第32聯隊(山3475)の占領する津嘉山収容陣地の側背を衝いた、敵歩兵の一部であったと考えられる。
歩第32聯隊 第1大隊長の記憶では、6月1日に兼城十字路、及び照屋方面に敵を迎え、何れも優位から撃退。 そして翌2日、敵は前日の線を迂回して宜壽次(宜次)方面へ侵入、一部は津嘉山背後への侵入を試み交戦している。 従って聯隊の哨戒線でも5月31日には敵兵の姿を認め、6月2日には敵と対峙したものと考えられる。

比較するとこの時期、歩第32聯隊では1コ大隊100名前後(3コ大隊編制)の将兵を擁しており、聯隊の兵力は壊滅寸前であった事が覗える。 従って哨戒線に接近する敵地上軍に対し、優位に在っても誘引する事は出来ず、極力交戦を避けたと考えられる。

一方の西海岸では、那覇市街に敵を支える特設第6聯隊(第7船舶輸送司令部 暁4500)に南部撤退が下令され、早くも国場川附近では海軍沖縄根拠地隊は敵の侵攻に膚接している。 特設第6聯隊は 安里△52高地 から 城岳 の戦闘に2/3以上の将兵を失い、一部では重囲下に陥っていた。
敵は那覇市街を手中に収め小禄半島にその矛先を向け、聯隊の治療所(聯隊本部跡)も、退路を失う危険があった。

 友寄市街地
山川橋 より分岐し友寄の丘陵地、東斜面を迂回して南部へ向かう古道。 国道507号線として整備されているが、現在は津嘉山にバイパスが開通し、地形などは往時に近いと思われる。
道路前方が北になり、道路の先の高台が収容陣地となった友寄の中心地、将兵は国道を退路(敗路)として辿った。
友寄バス停


タグ :八重瀬町

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Posted by 酉 at 12:00│Comments(0)戦 跡
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