2009年12月26日

開発の影で消える戦跡 6

那覇市おもろまち 安里△52高地 1
那覇市新都心 ゆいレールおもろまち駅 の南西に佇む安里配水池。
おもろまち駅西口付近、差し詰め「県鉄嘉手納線」軌道跡から望む。

大正8年測量 2万5千分の1地形図に拠れば、当時は真和志村に属し、安里51.7高地と記されている高台。 地元では古来、慶良間諸島の見える丘「ケラマチージ」、摺鉢山とも称された丘陵である。

本島西岸、小湾/勢理客/内間の線を守備する独立歩兵第15大隊を破り、安謝川を越えた米軍の侵攻は、此処に来て再び停滞する。
日本軍は、泊北方の△49.5高地から高橋町/祟元寺町北側の高台、そして此処△52高地、大道森と続く丘陵に堅固な抵抗線を構え、国頭街道沿いと澤岻西方の内間から南下する米軍を迎え撃った。
昭和20年5月7日、西方から臨時独立第2大隊、独立混成第15聯隊第2大隊、同第3大隊が陣地占領し、同工兵/聯隊砲/速射砲の各中隊、独立速射砲第7大隊を要所に配備。 支援火砲は野戦重砲兵第1聯隊、同第23聯隊、第44旅団砲兵隊、臨編海軍砲大隊の計21門が指向する。

熾烈な戦いは血で血を洗う様相を呈し、独混第15聯隊第1大隊、沖縄連合陸戦隊山口大隊、同伊藤大隊、丸山大隊、海軍迫撃砲中隊、臨時独立第1大隊、独立高射砲第78大隊、航空保安通信警備中隊が追って配属され、5月19日に独混第15聯隊第1大隊が後退する迄、丘陵の頂を巡って多くの尊い血が、底知れず吸込まれて行った。

今では慶良間の島々も望めず、ビルに囲まれて眺望も利かず、無遠慮な看板とネオンの輝きが目障りな景色と変わった。 墓標の如き安里配水池、貯水量1万3千3百トンの基礎には、地盤改良のコンクリートと共に、陣地壕に眠る将兵の遺骨が埋め込まれていると云う。 激戦の地、戦後の接収、土壌汚染、市有地の売却等々、此の地に纏わる委細を知れば、平和学習の眺望地としてより、戦後の沖縄島を象徴する、省みる事無き開発を表す処と思ふ。

(2003年10月撮)
徒歩とバス移動が殆んどであった此の頃、同年8月に営業運転を開始した「ゆいレール」に乗り、周辺を徘徊。 ANA992便で帰京するまでの僅かな時間を過していた。
開発の影で消える戦跡 6

説明の必要も無いでしょうが、一応下記。 眺望は全てDFSに遮られています。
地図はこちら


タグ :那覇市

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Posted by 酉 at 12:00│Comments(0)戦 跡
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