2009年11月08日
大和世(やまとゆー)36
南城市 県鉄糸満線 10
南城市(旧大里町)仲間 県道82号線手前(南)、沖縄県営鉄道糸満線 軌道跡の生活道。
稲嶺停車場を発った軌道は、現在の県道48号線をトンネルでくぐり、切り通しを抜け、丘を下って南風原町喜屋武へと続いていた。
稲嶺からの軌道跡は現在、生活道路として喜屋武経由、山川迄辿る事が出来る。
この三つの停車場を繋ぐ経路は、通称「幸之一カーブ」と云われ、極端な迂回路線として知られる。
昭和期に入り、那覇から糸満間、西海岸沿いのバス運行が開始されると、所要時間に関し、大いに悩まされる事となる。
当初は山川から南下し、友寄近郊を経由して東風平へ向かう計画であったが、実際は山川停車場から東方へ大きく迂回し、行程が3キロほど伸びている。
玉城村出身の有力な県議が、玉城に近付ける為、強引に経路を変更させたとも言われるが、経路の勾配が急峻な為、平坦な路線を選択したのが有力な説と思われる。 今となって真相は、明らかにしようもない。
写真は、喜屋武停車場跡の手前、わずかに残る、道床(軌道跡)の汽車道。
南城市と南風原町の境目。 県道82号線、那覇空港自動車道の高架を見上げ、長堂川を渡り、農地改良によって道路が右に折れる所、左手の牛舎の陰に、昔のままに残っている。 バラスト、軌道は無いが、築堤の雰囲気が残り、微々たる間に往時が偲ばれる。
喜屋武停車場跡は、この先の交差点の西側にあたるが、高架橋の下に潰え、遺構は見られない。

南城市(旧大里町)仲間 県道82号線手前(南)、沖縄県営鉄道糸満線 軌道跡の生活道。
稲嶺停車場を発った軌道は、現在の県道48号線をトンネルでくぐり、切り通しを抜け、丘を下って南風原町喜屋武へと続いていた。
稲嶺からの軌道跡は現在、生活道路として喜屋武経由、山川迄辿る事が出来る。
この三つの停車場を繋ぐ経路は、通称「幸之一カーブ」と云われ、極端な迂回路線として知られる。
昭和期に入り、那覇から糸満間、西海岸沿いのバス運行が開始されると、所要時間に関し、大いに悩まされる事となる。
当初は山川から南下し、友寄近郊を経由して東風平へ向かう計画であったが、実際は山川停車場から東方へ大きく迂回し、行程が3キロほど伸びている。
玉城村出身の有力な県議が、玉城に近付ける為、強引に経路を変更させたとも言われるが、経路の勾配が急峻な為、平坦な路線を選択したのが有力な説と思われる。 今となって真相は、明らかにしようもない。
写真は、喜屋武停車場跡の手前、わずかに残る、道床(軌道跡)の汽車道。
南城市と南風原町の境目。 県道82号線、那覇空港自動車道の高架を見上げ、長堂川を渡り、農地改良によって道路が右に折れる所、左手の牛舎の陰に、昔のままに残っている。 バラスト、軌道は無いが、築堤の雰囲気が残り、微々たる間に往時が偲ばれる。
喜屋武停車場跡は、この先の交差点の西側にあたるが、高架橋の下に潰え、遺構は見られない。

Posted by 酉 at 12:00│Comments(0)
│産業遺跡