【PR】

  

Posted by TI-DA at

2024年03月10日

碧血の島 44

東京都平和の日 2024年
東京都が不戦を誓い制定した条令、
昭和20年3月10日未明、東京を襲った米軍の無差別空襲に因む。

今日は都条例に基づく東京都平和の日であり、本所 横網町公園の 東京都慰霊堂 では、春季の慰霊大法要の営まれたことであろう。 しかしながら、例の移行から年を経るものの、式典は今以て縮小状態。 遺族代表、来賓を除き、一般参列者はお堂から締め出し、式典中は近寄るな状態。 お役所仕事の手先が蝟集する傍ら、筆者は慰霊堂外より香華を手向けた次第である。

今朝の東京は晴れ渡り、空は碧く風も穏やかであった。 昨日は北寄りの風が強く、この時季にしては身に染みる冷たさを感じた。  しかしながら最高気温は10.1度、内陸の風は5m/Sec程度、79年前とは大きく異なる。 当時(S20.3/9 1800JST)の天気図に拠れば、典型的な冬型の縦縞の下、関東地方は10m/Secを超す北西の疾風であったとみられる。 また、夜明けの焼け野原は最低気温0.4度の寒さで、生存者を包んでいた。

さて、ロシアの侵攻より2年、ガザ紛争より半年になろうとしており、日々巷間では戦争に関する事が報道されている。 そこには、各国の言い分が並び、「民間人の犠牲」或いは「餓死」などの言葉が絶えず聞かれる。
筆者は戦後の産ながら、沖縄戦を通じ先の大戦に於ける悲劇の一部に触れて来た。 かつて枢軸国とされた日本、焦土と化した日本、一夜に消された10万、何とも奇異に感じてしまう。 これが日本の空襲訴訟での判断、「戦争で受けた損害を国民は等しく受忍しなければならない」国なのである。 約3週間の後、南の島では地獄の釜の蓋が開けども、何れも受忍を強いられる。 そう過ちは、決して忘れてはならない。

 横網町公園
朝から年配の方が多数見えられたが、慰霊堂の外から香華を手向け、腰を下ろす隙間もなく帰路につかれていた。 コロナ禍を幸いに慰霊法要を縮小し、あわよくば仕舞いに致したいのか、どこぞの財団と同じ考えではと疑念を感じる。
東京都慰霊堂

 厩橋
厩橋(うまやばし)より望む隅田川上流、駒形橋、浅草方面。
隅田川
  
続きをどうぞ

タグ :東京都


Posted by 酉 at 13:00Comments(0)雑 文