沖縄に潰えた軍旗 135

2019年10月13日 12:00

歩兵第22聯隊 135
通称号 山3474部隊、第24師団 歩兵第22聯隊の軌跡
 (終焉 / その4)

昭和20年6月2日、敵は聯隊の保持する第2収容陣地(友寄~饒波川)を包囲するように侵攻した。
歩兵第32聯隊(山3475)第1大隊長の記憶に拠れば、敵はこの日、第1収容陣地(津嘉山)の正面に圧力をかけると同時に背後を西進し、歩第32聯隊主力の退路を断つように侵攻している。 夕刻には第24師団司令部(山HQ)より、敵の山川、宜壽次(宜次)占領が伝えられ、同日22時を以て第1収容陣地を撤し、歩第32聯隊は島尻への機動を開始した。

師団司令部の記録には、6月1日の夜に聯隊主力の真壁向け転進が記されている。 しかし北面の第1収容陣地が所在し、首里に残置した第1大隊の収容を待たず、第2収容陣地を縮小するとは考え難い。 従って未だ数日、軍旗は第2収容陣地に所在し、聯隊将兵、配属部隊の将兵は、南下を企図する敵地上軍と対峙していたと考えられる。

この頃、旧聯隊本部に近在した第24師団 第2野戦病院(山3487)は、 津嘉山集落の弾痕 は、この頃の市街戦、掃討の痕跡と思われる。


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