沖縄に潰えた軍旗 138

2019年11月17日 12:00

歩兵第22聯隊 138
通称号 山3474部隊、第24師団 歩兵第22聯隊の軌跡
 (終焉 / その7)

昭和20年6月8日、第1大隊は日没を迎えると、収容陣地(饒波川附近)を撤収した。 第1大隊長の手記に拠れば、収容陣地附近(饒波川南岸 推定宜次)で小戦闘、防戦の後に機動を開始。 足取りは重く、真壁へ至る途中に東風平の野戦病院跡附近で大休止。 翌日に聯隊本部の追及を再開しており、同処附近での戦闘は記されていない。 但し同手記には、8日夜の天候を「雨は容赦なく降り続いていた。」と記し、何等かの錯誤があったと考えられる。

同じ頃、軍旗(聯隊本部)は真壁に到着し、第2大隊は志多伯附近に陣を敷いていた。 第2大隊は、殿となった聯隊を含む第24師団(山部隊)将兵の撤退援護にあたり、寡兵を以て敵の侵攻を妨害していた。

第3大隊のみが軍旗を守って追随し、師団予備隊となっていた。 戦没者名簿に拠る同日時点で判明する第3大隊の生存者は、本部「44名 /10名生還 /118名編制」 同じく第9中隊「57名 /12名 /185名」 第3機関銃中隊「67名 /17名 /215名」であり、第10中隊、第11中隊を加え、凡そ250名の将兵が島尻まで命永らえたものと思われる。 しかし、氏名と共に記された戦没地の地名は「マカベ」の文字が半数以上を占め、多くの将兵が既に戦闘に堪えぬ傷を負い、真壁の集結地、或いは真壁の患者収容所で息絶えたものと思われる。

 志多伯附近
志多伯より現在の県道77号線、与座岳西の嶺(与座集落)を経て真壁へと至る戦前からの道。 聯隊の敗路であり、敵の進撃路でもある。
予備隊となった第3大隊は、後に歩兵第89聯隊(山3476)へ配属され、与座附近の戦闘で壊滅、消息を絶つ事となる。


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