沖縄県外の戦争遺跡 28
大阪府中之島 堂島大橋 前篇
大阪市内の旧淀川、現在の堂島川に架かる鋼鉄のアーチ橋。
大阪大空襲による被災、その痕跡が今も遺る。
ここは、かつての軍都大阪。 今は大阪の顔である大坂城址、そこには大阪陸軍造兵廠(大阪砲兵工廠)、そして第4師団司令部を頂いていた。 その外濠は旧淀川を経て、大阪港へと注ぐ。 旧淀川、下流の木津川には機帆船が蝟集し、上流の大川へは艀船が行き交った水路も、今は閑散としている。
中洲に浮かぶ中之島界隈は、大阪を代表する商区として、官公庁の建物が立ち並ぶ。 その南北を隔てる旧淀川、堂島川と土佐堀川には、数多くの架橋が見られる。 古くからの水の都も、今は整備が行き届き、その表情は大きく変化した。 しかしながら東京、 隅田川のカミソリ堤防と比べれば、全くもって趣きある景色と思ふ。 新旧混在する中之島を繋ぐ架橋、その数は20余りもあり、その意匠、表情も様々である。
休日の京阪中之島線、中之島駅に乗降客は少なく、ホームは閑散としている。 元より中之島は、東寄りの大江橋界隈に官公庁が立ち、再開発も先行。 下流、中之島の西寄りに高層ビルは少なく、空は広く感じる。 改札からの出口を誤ったが、傍に横たわる堂島川、その遊歩道を下流へ向かう、すると「堂島大橋南詰」交差点、堂島大橋の南側へと至る。
堂々たる体躯を見せる、鋼鉄製の上部アーチ橋。 その袂には、独特の意匠をした親柱が両岸に控える。 中之島駅より至る南岸、そこには煤けた親柱と欄干、そして放置自転車が迎えてくれる。 怪訝に思いつつ堂島川北岸、下流の親柱へ廻る。 するとそこには遺されていた。 堂島大橋に刻まれた大阪大空襲による戦火、焼夷弾による火焔の記憶。
堂島大橋全景
堂島大橋南詰、下流から臨む橋梁の全景。
堂々たる上部アーチ構造は、川面にも映える。 手摺りに隠れるが、橋台の石積みも趣向ある造りである。
焼け砕けた親柱
大橋の北詰、下流に座る親柱。
焼夷弾の火焔に焼かれ、幾重かの表面が剥落。 左手の欄干も、修繕された上部、既存の煤けた部位の色が大きく異なる。
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