2014年12月08日

沖縄に潰えた軍旗 15

歩兵第22聯隊 15
通称号 山3474部隊、第24師団 歩兵第22聯隊の軌跡
(都屋海岸の聯隊砲陣地 6)

都屋海岸に布陣したのは、歩兵第22聯隊(山3474) 聯隊砲中隊の第3小隊 である。 長は愛媛県出身の手練れの准尉、その下で1コ小隊 約50名の将兵が都屋に起居し、都屋と楚辺に砲座、陣地の構築を行った。

沖縄転進時の聯隊編成は聯隊本部の下に、2コ歩兵大隊(8コ歩兵中隊)、2コ機関銃中隊、2コ大隊砲小隊、通信中隊、更に歩兵砲大隊(本部)の下には聯隊砲中隊、速射砲中隊が所在し、記録には2千7百余名の人員であった。 編成の詳細は記されていないが、歩兵砲大隊には41式山砲×4門、及び94式37ミリ(速射)砲×4門を有していたと遺され、前述の聯隊砲中隊の小隊の数字とは齟齬が生じている。 推定ではあるが聯隊砲中隊、速射砲中隊、いずれも第1小隊が第1大隊と共に抽出され、独立歩兵第333大隊として飢餓のメレヨン島へ送られたものと思われる。

昭和19年8月、沖縄北飛行場・中飛行場の西に展開した聯隊は、主に東シナ海からの敵に備え築城していた。 この時は未だサイパン島の玉砕(7月9日)から日も浅く、同戦闘に於ける戦訓は広く展開されてはいなかったと見られる。 その為、連隊砲1コ小隊は水際に陣地を築き、海を圧し寄せる敵を側射し、少しでも兵力を漸減する計画であった。

 砲座
コンクリートで成形された砲座(銃眼)は略北を向いて開口する。
足下にはゴミが散乱し、煤けた砲座の壁面には英文の落書きが見える。
沖縄に潰えた軍旗 15

 銃眼
銃眼の正面には引き揚げられた漁船が置かれ、射界などは全く見通せない。
山砲の砲座として必要な、駐鋤を打設する窪み、砲車を固定する設えなども見えなかった。
沖縄に潰えた軍旗 15

※地図は 沖縄に潰えた軍旗 11 追記をご覧下さい※


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