沖縄に潰えた軍旗 132

2019年09月08日 12:00

歩兵第22聯隊 132
通称号 山3474部隊、第24師団 歩兵第22聯隊の軌跡
 (終焉 / その1)

昭和20年5月29日、聯隊に続き第24師団(山兵団)主力は撤退を開始した。
歩兵第32聯隊(山3475)は兵力の1/3を残置し、主力は首里地区(平良~汀良附近)より 運玉森△161高地 の放棄に先立ち、1コ大隊(第2歩兵隊 第3大隊、特設第3聯隊)に宮平北方の△82高地を占領させ、撤退援護の任にあてる。 主力は南風原を経由し、31日までに
歩第32聯隊の収容陣地津嘉山は、聯隊の占領地域の北に位置し、津嘉山の東には a href="https://phoenixexpress.ti-da.net/e3387316.html" link_v"> 黄金森
が位置していた。 軍司令は附近に散在する丘陵を利用し、低地を機動する敵を妨害する計画であったと考えられる。 しかし歩兵に随伴する重火器は乏しく、戦車を伴う威力偵察の前には、為す術もなかったと思われる。

翌30日、第32軍司令部(球1616)は津嘉山に仮設した戦闘指揮所を徹し、摩文仁に指揮所を移した。

 友寄より北方
友寄集落の位置する丘陵の北辺より望む、津嘉山集落とチカシモ―。
右手遠方には僅かに弁ヶ岳附近、新川の高台、配水池とアンテナが見える。


関連記事