沖縄での余暇 35

2014年06月02日 12:00

遊技場(マシン屋) 15
コザに遺る、小さな灯火が消える時。
 そして訪れたオキナワマシン屋の終焉。

コザ十字路から足が遠のいて後、幾歳が過ぎた頃であろうか。 沖縄からアップライトマシンは絶滅し、事実上マシン屋は消滅。 国道沿いには、内地資本のパチンコ店がネオンを輝かせ、近年はアミューズメントなるを気取っている。 対する弱小、地元のお店は残すところ片手程度、一時は恩納村のホテル内にもマシン屋が営業していたが、今では考えられない暴挙でであろう。 何れにせよ最盛期に比べ、その店舗数は半数以下、感覚的には1/3程度にさえ思える。 もっとも最盛期と思われる昭和末期から平成の初頭は、何れの店舗に於いても「借地料」を吸い上げる極悪営業であった事に変わりはない。 その結果、多くが行くべくして辿った途だと云えよう。

コザ・ゲームセンターが閉店して10年が近く、当方もパチンコ屋への出入りを止め、6年余りが経過する。 振り返った処で、全てが感傷的な思い出にしか過ぎず、手許に残るモノは見あたらず、今に思えば「時」と云う大切なモノを僅かな金で売っていたとしか思えない。 しかもその労力たるや、並大抵のものではなかった。
かつて池袋・高田馬場界隈に居たパチプロも、今や専業の者はなく、文筆業を兼ねる者が殆ど。 同じく沖縄では降って湧く「借地料」を日々せっせとマシン屋へ捨てる人を少なからず見掛けたが、今も同じ体なのであろうか。 深く交わる事もなかった他生の縁ながら、時折りコザ、真栄原を通るたびに思い返される。

 アップライト機の並ぶ店内
お客さんの居ない小奇麗な店内は、末期の名護ミラノ。
右手の島はトロピカーナ7S、左手はアイランド。


 マシン屋
同じく名護市城に在ったマシン屋、設置は20台足らず、店主との真剣勝負である。
もっとも風営法上の届け出は定かになく、コザ・ゲーム同様、普通のゲームセンターであったのかも知れない。


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