沖縄での余暇 36

2014年09月28日 12:00

遊技場(マシン屋) 16
オキナワマシン屋の終焉、そして街角に佇む残照(前篇)

今から8年を遡る平成18年、通称 風俗営業法の一部が改正された。 沖縄では専らマシン屋と呼ばれていたが、何れも同法の規制を受ける遊技場営業、ぱちんこ店に分類されている。 その為、マシン屋も含めたパチンコ屋さんは全て風俗店であり、顔見知りの女性店員さんを風俗嬢などと称し、ひやかしたものである。
冗談はさて置き、沖縄では永らく棲息した1.5号機、2号機などのアップライトマシンだが、平成5年の トリプルクラウン 2 さえも、この機に姿を消したのであった。

この間、沖縄では営業許可の取り消し、台入れ替えの負債などにより店舗は淘汰され、更にはレジャーの多様化もあって、あれ程隆盛を誇ったマシン屋(パチンコ店)も、その多くが閉店、廃業し、或いは内地へと撤退している。
昭和の末期、バスの車窓から眺めた国道58号線沿いには、旭橋のモナコ、天久のサンパルコ、宮城のマルシン、城間のサンシャイン、そして牧港のオメガと、ネオン管に飾られた店舗、看板は、オキナワ初心者の目を惹き付けたものである。 しかし20余年を経て、今や往時の位置に残る店舗は2軒のみ。 国道沿いには集合住宅、大規模小売店が並び、その景色も様変わりしたものである。

 グランドトーキョー
名護市城2丁目に在ったグランドトーキョー。
同店は迷機 弾丸物語(平和)を長く設置していた中規模店。 それらしい佇まいながら2008年頃には閉店。 今は全て更地となり、向かいの食堂「おおかね」だけが、人の集った往時を偲ばせる。
表通りにパチンコ東京、東江にはオメガ、サンパルコが軒を並べていたが、為又附近に大型パチンコ店が次々と出店。 加えて大規模小売店により人の流れも変化。 名護十字路より活気が薄れてのち久しい。


 名護ミラノ
アップライト機の博物館であった

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