2018年03月10日

沖縄県外の戦争遺跡 113

東京都江東区 木場の供養塔 前篇
旧深川区の運河沿いに佇む、
 二基の東京大空襲犠牲者供養塔

今日は、平成2年に定められた都条例に基づく東京都平和の日であり、本所 横網町公園の 東京都慰霊堂 では、春季の大法要の営まれている頃である。
昭和20年3月10日未明、南から東京上空へ侵入したB-29は旧深川区へ初弾を投下。 門前仲町南北の住宅密集地へばら撒かれた集束焼夷弾は、折からの季節風に煽られ大火災となり、業火は人々の生活を焼き尽くした。

ここは 大横川 の南側、かつて深川木場町と称された地区である。 東は大横川南支川に接し、対岸はかつて深川洲崎弁天町と称され、戦前は遊郭、敗戦後はカフェー特飲街として復興した特異な地区である。 しかし辺りに在った木場は消滅、役割を失った水路は埋立られ、海は一段と遠くなった。 加えて昭和22年に深川区は合併により消滅、同42年に町名変更が施行されるなどし、今や地域の歴史を伝える物も消えつつある。

その大横川南支川、かつての洲崎町と木場町を結んでいた西洲崎橋、その袂の目立たぬ場所に一基の慰霊碑が佇んでいる。 御影石の標の表には「戦災殉難者供養塔」と刻まれ、その地域から前述の大空襲犠牲者を供養する塔である事は容易に理解できる。 この塔に関する仔細の説明はないが、同様の慰霊碑が数多存在する事から、一夜に10万の命が焼き殺された衝撃の大きさがうかがえる。

 戦災殉難者供養塔
江東区木場の東端、西洲崎橋の袂に佇む供養塔と地蔵様。
塔の背面には「平成5年3月10日 木場ラジオ体操会建立」と刻まれているが、改修 / 建立の仔細は不明である。
沖縄県外の戦争遺跡 113

 供養塔遠景
右手は旧深川洲崎町、大横川南支川に架かる西洲崎橋が見える。
沖縄県外の戦争遺跡 113



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