2011年03月10日

沖縄県外の戦争遺跡 10

東京都墨田区 東京都慰霊堂
無差別な戦略爆撃に潰えた、東京の町並み。
その未曾有の戦火に焼かれ、斃れた人々を祭る霊廟、東京都慰霊堂。

暦は再び巡り来たる、3月10日。 「東京都平和の日」である今日は、昭和20年の同日、未明の大空襲によって命を奪われた数多の人々、その66回目の命日となる。 
今日は慰霊堂の講堂に於いて「春季慰霊大法要」、戦禍に斃れた東京都民の追悼式典が催されている。 灰燼と化した東京に斃れた人々、その数は10万余名とも云われ、正確な犠牲者数は、今以て不明のままに在る。 遺族からの申し出により、犠牲者名簿が綴られてはいるものの、一族が業火に襲われた場合、申し出る者はいない。 その存在も忘れ去られ、無縁様として納骨堂に納められている。
東京大空襲の概要については、 「沖縄県外の戦争遺跡」 をご参照下さい。

都条例により、「東京都平和の日」を定めている由、都のホームページにて慰霊行事を確認しようとするも、全く要領を得ない。 イベントカレンダーにも記されず、「東京都平和の日」に関する「啓蒙」記事も見られない。 戦後45年、漸く定めた条例「都民一人ひとりが平和を考える日」は、その後21年にして、形骸すら失せ果てている。 この日、13時の黙祷を呼び掛ける、都内62市区町村さへ、その数は僅かだったと見える。

因みに慰霊堂、秋季大法要は9月1日に行われるが、これは東京都慰霊堂の前身「震災記念堂」、ひいては「関東大震災」に由縁する。 ここはかつて、本所被服廠跡地と云われ、震災後の火炎旋風により、3万余名の避難民が焼け死んだ地である。 その後、官民協力し、寄付浄財を以て創建された慰霊堂、時に昭和5年9月であった。
大正12年9月1日、「防災の日」の由来たる大災禍だが、その意味を知る者も、今の都民には減りつつある。

 薄暮に沈む東京都慰霊堂
左手の威風堂々たる高層ビルに向い、威嚇する怪獣の如き妖しい外観。
伊東忠太設計、戦禍を免れた本堂を始め、復興記念館と併せ、別機会に紹介したいと思います。
沖縄県外の戦争遺跡 10

地図はこちら
最寄※JR.両国/都営地下鉄.都営両国/都バス[都02/他]石原一丁目BS※

「東京都慰霊堂/横網町公園」公式HP


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