2019年08月17日

沖縄県外の戦争遺跡 117

北海道根室市 海軍 根室特設見張所 後篇
根室半島の南岸、太平洋に臨む岬角
 夏草に埋もれる望楼の基礎と建屋の土塁

根室特設見張所の正式名称には、末尾に(戊)の文字が附加され、これが見張所の施設と要務を表していた。 見張所は、眼鏡など主に肉眼で監視をする「甲~丙」、聴音機・探照灯を備えた「丁」、そして「戊」は、レーダーを備えた対空見張所であった。 ヒキウス岬には望楼の他、昭和19年12月時点で 2式1号電波探信儀1型改2(通称:11号電探)が稼働し、同 2型改3(12号電探)の設置工事が進められていた。 下士官兵13~14名で運用され、近在の海軍(花咲)送受信所から支援を受けていたと考えられる。

この頃、既に米軍は日本本土への侵攻を企図しており、サイパン経由の南回り、アリューシャン経由の北回り、2方向の経路を計画していた。 しかし道東からアリューシャンに掛けては、年間を通じて海霧が発生。 航空機の運用や攻撃目標の捕捉に支障をきたす事から、南回りで侵攻したと云われる。 斯様、道東の果てにも沖縄戦へ繋がる伏線は有ったのだが、止まる途を選ばなかった戦争指導者の大きな過ちである。

厚岸防備隊は4杯の哨戒艇を以て、襟裳岬から納沙布岬間の対潜哨戒を行っていた。 昭和20年に入ると敵潜の跳梁が夥しく、雷撃を受けた船舶からの通報、消息を絶った船舶の捜索など、都度対応していた事が遺されている。
一方で航空機の飛来は記されておらず、敵機の航続距離と海霧の発生が大きく関係していたと考えられる。 厚岸でも大黒島特設見張所(戊)にて対空警戒任務についていたが、対水上レーダーによる警戒の方が、敵潜への(心理的な)効果は高かったと思われる。

しかし敗戦の近い昭和20年7月14日、見張所の上空を敵機が舞う、北海道空襲である。
敵機動部隊の放つ艦載機の空襲は15日も繰り返され、根室は室蘭、釧路に次ぐ被害を受けた。 その市街地では住戸2,400余、根室港では2杯の船舶が撃沈され、400名近い犠牲者が確認されている。
沿岸の制海権、上空の制空権も失われ、敵機を迎撃し機動部隊を追撃する戦力は枯渇。 太平洋に日本海海戦を再現する希望は既に瓦解していた。 加えて孤島の戦いの結末は、アッツ島から沖縄島、幾たびも経験済みである。
根室特設見張所は、久松五勇士、信濃丸に続く栄誉を受けることもなく、敗戦により歴史の行間に埋もれようとしている。

 秋の望楼跡
短い夏の間、夏草に覆われた望楼跡。
冬の間の積雪と季節風により、春には露わとなる。
沖縄県外の戦争遺跡 117

 見張所附帯施設跡
望楼跡の東方には、使途不明の土塁、コンクリートの三和土が熊笹の中に埋もれている。 戦後の引渡目録に拠れば、2基のレーダーの他に半地下の発電機室、兵舎が併設されいた。
沖縄県外の戦争遺跡 117

※地図は 沖縄県外の戦争遺跡 115 追記をご覧下さい※


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