2010年03月10日

沖縄県外の戦争遺跡

東京都大塚 空襲に焼かれた地蔵尊
東京大空襲に焼かれ、本来在るべき、路傍の居場所をも失ったお地蔵さん。
戦火の傷を擁したまま、豊島区隣接の文京区大塚公園内に遷座する。

3月10日とは何の日?
人口の集中する東京とは云へ、戦前より代々住まう者の割合も減り、継承すべき戦火の記憶、遺物も、その殆んどが失われてしまっている。 内地の中小都市と同様、東京はB-29の無差別攻撃により、昭和20年8月15日を待たずして、ほぼ灰燼に帰していた。 故人からはかつて、疎開先から帰京、池袋の駅に降り立った時、山の手線がぐるりと一周見渡せ、国会議事堂の尖頭が望めたと聞く。 今は真偽を確かめる術も無く、大袈裟ではあるものの、戦火によって原野と化した、当時の東京の惨状を伝える逸話のひとつである。

昭和19年7月、サイパン島、マリアナ諸島が陥落すると、米空軍は日本本土空襲の拠点とした。 同年11月、B-29による多摩地区(飛行機工場)の空襲を皮切りに、東京だけで延べ106回の空襲を受けている。 米軍をして、「攻撃目標なし」と云う程の灰燼と化した東京。 中でも昭和20年3月10日未明、下町を襲ったB-29 3個航空団、300機余りによる、高性能焼夷弾を用いた無差別攻撃は熾烈を極めた。 迎撃能力に劣る日本側は為す術もなく、一夜にして10万人余りの人命、民間人の人命を奪い、東京の空襲でも最大、最悪の被害を受けている。

現在、都は条例により、3月10日を「東京都平和の日」と定め、平和意識の高揚を図る為、記念行事を実施している。 しかし、遅きに失したか、条例の公布(平成2年公布)は戦後45年を経過し、人々の記憶も薄れ、事物の多くが消滅。 沖縄島へ訪れる観光客と同様、戦火の記憶に気を向ける人も、今は稀有となりつつある。

 公園内に佇む大塚地蔵尊
観音、大日如来、地蔵、庚申塔の何れも、戦火による損傷が修復されている。 割れたもの継ぎ合わせ、大日如来(左から二体目)の頭部等は失われ、モルタルで再生。 黒々としているのは雨ばかりではなく、焼夷弾の油脂や、火炎に因る。
太平の世、千6百年代の後半、豊作と二世安楽の祈願を込めて奉造立し、代々守られて来た。
沖縄県外の戦争遺跡

 半身を失った狛犬
一隅には上半身を失った狛犬も鎮座する。
不遇な彼も地元の人に大切に守られ、由来と共に伝承して頂きたい。
沖縄県外の戦争遺跡

地図はこちら   東京大空襲・戦災資料センター

沖縄県外の事象な為、「余談‐雑文」に括った由、他意はありません。
追々、地方を散策した際、目にした戦争遺跡や戦火の記憶を整理したく思います。


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