2012年03月10日

沖縄県外の戦争遺跡 32

東京都墨田区 殉職者慰霊碑
旧墨田電話局、現在のNTT石原ビルの一隅に立つ慰霊碑。
東京大空襲の業火に焼かれた女子挺身隊、交換手達の慰霊碑。

今日は「東京都平和の日」。 昭和20年3月10日未明、米空軍の行った無差別攻撃、その犠牲者を追悼し平和を願うことを目的として、都が条例によって定めた慰霊の日である。 高性能焼夷弾を用いた無差別攻撃は、当日の天候、風候も災い。 東京の人口密集地、下町を火の海とし、一夜にして10万余名の東京市民、その命を奪った。

ここは、その様な下町の一角。 通りは碁盤の目の様に走り、蔵前橋通り、そして三ツ目通りの交わる「石原三丁目」交差点、その至近にNTT石原ビルは位置する。 民営化の以前、ここは墨田電話局と称され、戦前は交換台が置かれていた。
大空襲の夜、一帯は業火に包まれ、局舎もまた全焼。 15歳を最年少とする交換手、女子挺身隊員28名、男子職員3名は、文字通り交換業務を死守。 軍官憲の生命線、通信網維持に命を賭し、「死んでもブレストをはずすな」を合言葉とし、劫火のうち相擁して斃れたと云う。

古くは日清戦役「勇敢なラッパ卒」、上海事変の「爆弾三勇士」、そして終戦直後の「真岡事件」など。 何れも「崇高」な殉国、殉職の精神を謳われているが、本質を見失ってはいけない。
奇しくも明日は3月11日、戦禍もない平和な世であれば尚の事。 南三陸町での出来事も、本質を見誤っては斃れし職員も亦、浮かばれぬ事となろう。 何が大切かは、神代の昔から変わらぬ・・・。

 慰霊碑
撮影は平成23年3月7日、東京の空には早朝、小雪の舞った寒い日の事。
命日を前にしての雪化粧、香華に囲まれた慰霊碑を写真に収めた。 その4日後の事なども知る由もなく。
沖縄県外の戦争遺跡 32

 慰霊碑遠景
生垣の内側には、殉職者の芳名、碑文、和歌が詠まれ、石版に刻まれている。
殉職者の芳名には、戦火に斃れた女子挺身隊員28名、男子職員3名、並びに関東大震災に殉職した職員2名が刻まれる。
沖縄県外の戦争遺跡 32



タグ :東京都

同じカテゴリー(県外の戦争遺跡)の記事
碧血の島 34
碧血の島 34(2018-09-01 12:00)


上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。