2017年03月10日

沖縄県外の戦争遺跡 108

東京都江東区 大横川沿いの慰霊碑 前篇
東京の下町 門前仲町、
深川と越中島を隔てる大横川沿いに佇む慰霊碑

例年の恒常句ながら、今日は都条例に基づく東京都平和の日であり、本所 横網町公園の 東京都慰霊堂 では、春季の大法要の営まれている頃である。 遡って昭和20年3月10日、B-29の投弾により未明から発生した大火災は季節風に煽られ、業火は日没まで燃えていた。

夜半の東京上空へ侵入したB-29の梯団は、下町の民家を標的として深川区(現:江東区)へ初弾を投下した。 空襲警報が解除され、虚を衝かれた形の地上では、物音で異常に気付いたと云う。 民家では土間に設けた防空壕に身を隠し、或いは戸外へ降り注ぐ焼夷弾の雨の下を逃げるなど、人々は各自の判断で業火から逃れようとし、それらが生死を分つ事となる。

焼夷弾の油脂で道路は燃え、頭上から火の粉の迫る状況下、火焔に包まれた深川界隈では、防空壕に避難し、或いはビルに人々は逃げ込んだ。 しかしその多くが蒸し焼きとなり、命を落とす結果となる。 また、路上を逃げ惑った人々も、風上の北西へと退路を得た者は助かった。 しかし火焔に巻かれた人々、水面に逃げ場を求めた人々など、多くは夜明けに屍を晒す結果となった。

戦後の記録に拠れば、深川区だけで1万9千余名の遺骸が仮埋葬地より改葬されている。 3月10日の空襲に於ける死者、行方不明者数は、全体で約10万名と云われており、深川界隈の被害が如何に大きかったかが覗える。 大横川には遺体が浮き、近隣の臨海国民学校へ避難した人々は、全滅したと云われる。
碑は平成13年9月、牡丹一丁目町会により建立され、犠牲者の慰霊のみならず過去の事実を繋ぎ止めている。

 戦災殉難者慰霊碑
街路脇の緑地に佇む黒御影の慰霊碑、時に足を停め眺める人もいる。
沖縄県外の戦争遺跡 108

 碑の遠景
碑の背後には黒船橋と大横川、左手後方の臨海小学校では鉄筋コンクリートの校舎が火焔に包まれ、多くの人々が犠牲となった。
沖縄県外の戦争遺跡 108



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