2010年12月10日

大和世(やまとゆー) 100

南城市佐敷新里 海軍給水施設址 / 前篇
旧佐敷町新里 旧海軍の艦艇向けに設けられた給水施設。
住宅地合間、雑木林の中に人知れず遺されている。

「佐敷町の雑木林の中、海軍の給水タンクが放置されている。」
噂に聞いて訪れてはみたものの、新里と云う以外に手掛かりは無く、場所を記した書物など有る訳がない。 佐敷勤労者体育センターの脇、バス停に降り立ち新里の集落を見渡す。 住宅地が広がる緩斜面には、それを覆うかの如く、更なる雑木林が見て取れる。 「この広範囲を踏査するのは往生するな」と思ひつつ、地図に目を通し、地形図を片手に歩みを開始する。

今回も足で稼ぐしか無いのか、とは思ひつつも、闇雲に過ぎる事は避けている心算。 給水施設と云う事で手始めに、集落を流れる樋川ガーと、連絡する用水路を辿る事とした。
煙草屋の角から県道137号線を西へ渡り、殆んどが暗渠となった樋川ガー下流、その用水路沿いを遡上する。 住宅の裏手で暗渠は開け、滔々と流れる水流は、水利に優れる地である事を耳朶に響かせていた。 そこから下草を蹴り分け、緩やかな斜面を登って行くこと数十歩。 そこには煉瓦造りの水タンクが、木陰から闖入者を見下ろしていた。
探しあぐねて見つからぬ事は再々、対して呆気なく見つかる事も、たまにはあるものか。

最初に尋ねたこの時、この地は佐敷町であった。 時代は未だ20世紀、その末頃であったと記憶する。 今にして思へば下草は少なく、蔦も見られなかった。 恐らくは佐敷町が調査を行った直後、手入れの直後であったと思われる。

 木陰に佇む水タンク
写真は今から数年前、通り掛かりに車で立ち寄った処、草は生え放題、蔦は伸び放題。 煉瓦造りのタンクは「モジャ」と化し「ガジャン」の棲家となっていた。
大和世(やまとゆー) 100

 蔦に覆われた水タンク
処々に辛うじて赤煉瓦の肌が見て取れる。 蔦如きを刈り上げるのは、鎌一丁でも容易な事だが、この時は手を出さなかった。 蚊が多過ぎた事も一因ながら、緑に巻かれるのも趣向のひとつかと思った次第。
大和世(やまとゆー) 100

地図はこちら
※目標が無く位置は概略、樋川ガー水路の右手を登る※


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