2011年03月20日

忘れられた激戦地 123

続々・山ゆかば草むす屍 14
激戦の繰り返された、西原町幸地の丘陵地帯。
その一隅の埋没壕、かつての格納壕より回収された遺物。 急造爆雷 / 前篇

沖縄入りしたその日、夕刻早々に連絡を受け、有志の作業小屋へと向かった。 無沙汰の挨拶もそこそこに、小屋の奥へと導く声は、心なしか上ずっていたと思ふ。 その目の前には、「巣箱」の如き薄汚れた木製の箱、いわゆる「急造爆雷」であった。
興奮気味に話す説明に拠れば、つい三日前、彼の埋没壕に於いて、それはほぼ原型のまま、爆薬を納めた木箱も朽ちる事無く収容された。

略20センチ四方の大きさで、上下、前後を示す様に、その一部は形態が異なる。
上部は、蓋と共に導火雷管、いわゆる起爆装置の取り付け台座が設けられ、この爆雷には、2本の雷管が装置されていた。 前面は、背部に当たる面として大きめに形作られ、背負う際の紐が通されていた。 そして側面には、斜に木片が取り付けられ、運搬、或いは投擲攻撃の際の把手、取っ手として用いられた。
内部、薬室には爆薬であるダイナマイト、カーリット等が詰め込まれ、その量は凡そ10キロ。 通称「10キロ急造爆雷」として扱われていた。

 10キロ急造爆雷
後方から臨んでおり、上部には導火雷管の取り付け台座が設けられ、挿入孔2本が穿孔されている。 (スケールは15センチ)
忘れられた激戦地 123

前方から臨む急造爆雷
背面の板は大きく、背負い紐の通し孔が穿孔され、側面には把手として、斜に木片が打ち付けられている。
忘れられた激戦地 123


タグ :西原町

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Posted by 酉 at 12:00│Comments(2)遺 品
この記事へのコメント
 こんにちは。

 写真の急増爆雷は、去年の6月に南風原文化センターで、多分同じものを見せていただきました。「雑記録(弾薬戦闘の参考の抜粋)石三五九八部隊」で読んだものが、本物が残存していたとはと驚きました。出土した兵用襦袢と一緒に写真に撮っています。どこかでお会いしているかもしれませんね。

 
Posted by すぎやんま at 2011年03月20日 21:44
>2011/03/20 21:44:29 すぎやんま殿
再々のご感想を賜り、まことに有難う御座います。
彼の急造爆雷は仰る通り、兵用襦袢と共に南風原にて展示した物。
 その際は、木箱のみの展示だったと側聞しております。
主要な時節には沖縄に在りますので、機会が有ればと思ひますが、
 買占めは終息の方向ながら、未だ予断を許さぬ状況に、その有余は望めそうもなくあります。
引き続きの啓蒙広宣方、宜しくお願い申し上げます。
       酉
Posted by 酉 at 2011年03月23日 23:01
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