2012年10月12日
戦世(いくさゆー) 317
糸満市糸満 山巓毛公園 1
糸満ロータリーの北東に位置する顕著な岩山。
整備された都市公園、その片隅には戦争遺跡が横たわる。
以前、 糸満防空監視哨 の項でも少々触れた山巓毛。 漁師町糸満の聖地として、或いは実利を兼ねた洋上からの目標物として崇められた顕著な岩山。 今はその面影も見あたらぬ都市公園として整備され、山巓毛公園と称されている。 その頂には地利を用いた監視哨の跡、そして更に2つの戦争遺跡が遺されている。
それ等は戦後一時期 「山巓毛戦争遺跡群」 と称されていたが、今やその姿は山巓毛の頂のみに遺る。 その大半は公園整備の際、顧みられる事もなく撤去破壊され、地上より永久に消え去ったのである。 換言すれば市が自ら消し去った、そう云った方が適当であろう。
その一方、防空監視哨跡の傍らには苛烈な戦火を潜り抜けた戦前の記念物、いわゆる記念碑等が遺されている。 それ等は2基並び置かれ、本来その位置に建立された物だと云う。
ひとつはコンクリート製の国旗掲揚台座。 その正面には建立趣旨、右に「皇太子殿下」 左には「御生誕記念」。 そして左の側面には「昭和九年八月一日建立」と刻まれている。 文言の通り、前年(昭和8年12月)の昭和天皇第一皇子(平成の今上天皇 明仁)、その生誕を祝し建立されたもの。
そして今ひとつは表面に「御大典 記念 山巓毛改修碑」と大書された記念碑。 鉄筋コンクリート製、化粧モルタルで仕上げられた上等な「碑」である。
しかし何れも原型は留めておらず、その全身には無数の弾痕が刻まれる。 国旗掲揚台に旗竿は失われ、改修碑は引き倒され地上に横たわる。
山巓毛改修碑
山巓毛の山上、そこへ導く階段より臨む改修碑。(2005年11月撮)

掲揚台と改修碑
左手に国旗掲揚台、右に改修碑、並んで建立されている。

糸満ロータリーの北東に位置する顕著な岩山。
整備された都市公園、その片隅には戦争遺跡が横たわる。
以前、 糸満防空監視哨 の項でも少々触れた山巓毛。 漁師町糸満の聖地として、或いは実利を兼ねた洋上からの目標物として崇められた顕著な岩山。 今はその面影も見あたらぬ都市公園として整備され、山巓毛公園と称されている。 その頂には地利を用いた監視哨の跡、そして更に2つの戦争遺跡が遺されている。
それ等は戦後一時期 「山巓毛戦争遺跡群」 と称されていたが、今やその姿は山巓毛の頂のみに遺る。 その大半は公園整備の際、顧みられる事もなく撤去破壊され、地上より永久に消え去ったのである。 換言すれば市が自ら消し去った、そう云った方が適当であろう。
その一方、防空監視哨跡の傍らには苛烈な戦火を潜り抜けた戦前の記念物、いわゆる記念碑等が遺されている。 それ等は2基並び置かれ、本来その位置に建立された物だと云う。
ひとつはコンクリート製の国旗掲揚台座。 その正面には建立趣旨、右に「皇太子殿下」 左には「御生誕記念」。 そして左の側面には「昭和九年八月一日建立」と刻まれている。 文言の通り、前年(昭和8年12月)の昭和天皇第一皇子(平成の今上天皇 明仁)、その生誕を祝し建立されたもの。
そして今ひとつは表面に「御大典 記念 山巓毛改修碑」と大書された記念碑。 鉄筋コンクリート製、化粧モルタルで仕上げられた上等な「碑」である。
しかし何れも原型は留めておらず、その全身には無数の弾痕が刻まれる。 国旗掲揚台に旗竿は失われ、改修碑は引き倒され地上に横たわる。
山巓毛改修碑
山巓毛の山上、そこへ導く階段より臨む改修碑。(2005年11月撮)

掲揚台と改修碑
左手に国旗掲揚台、右に改修碑、並んで建立されている。

Posted by 酉 at 12:00│Comments(0)
│戦争遺跡