2014年12月30日

沖縄に潰えた軍旗 16

歩兵第22聯隊 16
通称号 山3474部隊、第24師団 歩兵第22聯隊の軌跡
(都屋海岸の聯隊砲陣地 7)

昭和19年8月の沖縄転移当初、第24師団は中頭地区に配備され、主力の歩兵3コ聯隊は、各々東西及び北からの敵上陸に備えていた。
歩兵第22聯隊は聯隊本部を牧原農事訓練所に置き、第2大隊 久得、第3大隊 長田、歩兵砲大隊を野里に布陣し、主にシナ海からの敵に備え、沖縄北・中飛行場を中心に築城したと遺る。 しかし同聯隊の記録、手記、何れにも、この頃の子細な配備について触れたものは無く、大隊以下の各中隊、散兵線の位置などは皆目不明である。

以前に、同時期の聯隊の足跡を辿ろうと、ふと思い立った事がある。 しかし聯隊本部の在った読谷山村 牧原地区は、一部を除き旧字の大半が未だ米軍の軍用地であり、比謝川北岸の返還地のみが現在はゴルフ場となっている。 他所でも第3大隊の所在した長田は嘉手納飛行場・嘉手納弾薬庫地区。 第2大隊の所在した屋良・石嶺の久得、並びに歩兵砲大隊の所在した野里は、現在では嘉手納町に属し、前者の一部は嘉手納弾薬庫地区、及び米空軍嘉手納飛行場となり、何処も立入は適わない。 おまけに読谷村の教委ですら、牧原農事訓練所の所在を知らぬ始末であった。

 銃眼
コンクリートで成形された銃眼には、跳弾の侵入を防ぐ為の段差が設けられ、実戦に向けた物々しい造りである。
沖縄に潰えた軍旗 16

 銃眼内部
砲座の完成後は41式山砲を砲座に据え、敵舟艇の観測・射撃を模した訓練が繰り返されたのであろうが、終ぞ火を噴く事はなく南部へ転進する。
沖縄に潰えた軍旗 16

※地図は 沖縄に潰えた軍旗 11 追記をご覧下さい※


タグ :読谷村

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