2020年01月04日

大和世(やまとゆー) 402

名護市嘉陽 聖火宿泊碑 (前篇)
アメリカ統治下の沖縄を巡った
東京オリンピック聖火の宿泊記念碑


国道331号線、二見以北の北部区間は、起伏あるワインディング・ロードが亜熱帯の緑を抜け、散在する集落を繋ぐ。 整備の進む西海岸の58号線とは異なり、生活道として道幅は狭く交通量も少なく、気ままな寄り道には適している。
嘉陽集落はR329重複区間の二見三叉路より、何かと騒々しい大浦湾を通過、阿部集落の東に位置する。 その国道沿い、旧嘉陽小学校の正門附近に記念碑は佇んでいる。

碑は昭和39年(1994年)9月、東京オリンピックの聖火を迎えるにあたり、旧嘉陽小中学校 父兄の提案により建立されたと云われる。
掲題の通り、当時の沖縄はアメリカの統治下(アメリカ世)にあり、また嘉陽集落は久志村に属していた。 日本国旗の掲揚は自由に行えず、車は未だ 右側を通行 する時代であった。

昭和34年(1959年)5月、IOCは1964年夏季大会の開催地に東京を選出、ここに東京オリンピックの開催が決定する。
昭和37年7月、聖火リレー特別委員会は、海外からの聖火を「沖縄県」で迎え、「県内」を巡った後に「内地」へ向かう聖火リレー行程を正式に発表する。
これに基づき翌年度初頭、記念事業として件の碑の建立が提案、決議される。 当時の写真に拠れば、実際の碑の完成は聖火の沖縄到着数日前であった。

 聖火宿泊碑
五つの自然石に刻まれた文字を除き、手作り感満載の記念碑。
右端の石には、聖火の宿泊を記念する旨の由来記が刻まれている。
聖火宿泊碑

 聖火台と旧嘉陽小学校
聖火台は土管とシンメー鍋を土台にコンクリートで成形されている。
嘉陽中 昭和47年、嘉陽小は平成21年に閉校し、美ら島自然学校となる。
よくある話で附近は住民の駐車場と化し、正面からの撮影は出来ませんでした。
聖火台と旧嘉陽小

※地図は Google Map へジャンプします※


タグ :名護市

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