2017年02月27日
戦世(いくさゆー) 498
今帰仁村古宇利 お宮 前篇
古宇利島の南、海岸沿いに位置する拝所
古宇利島 第一桟橋 のほど近く、海岸の道路沿いに小さな鳥居とお社が建てられている。 然して気にも留めなかったのだが、のちに今帰仁村の資料を調べた処、島には七森七嶽の聖地、拝所があり、ここはその内のひとつ。 その通称を「お宮」、正式には「クワッサヤー」と云う、島の中心的な拝所であった。
島には、島の東西南北を始めとする7箇所に御嶽があり、集落のある島の南に神アサギ、祠などが7箇所、合わせて七森七嶽(ナナムイナナタキ)と称する。 島では旧正月を皮切りに十数の年中行事、祭祀が、集落の人々によって継承されている。 それでも神職者(神人:カミンチュ)に後継者がなく、現在は行われていない祭祀もあると云う。 その数多くの祭祀は、ここお宮を始終としてとり行われる。
お宮さんの建立(改築)年は、戦前と云われるも明らかでない。 しかしながら屋根の意匠は、近隣の 渡久地神社 、或いは 並里神社 にも似通っており、同時期の昭和ひと桁に建立されたものと思われる。
当然ながらお宮さんは戦禍をかいくぐり、本島で立上る爆炎を遠望している。
お宮さん
かつての島の玄関口、第一桟橋の近くに建てられた拝所。
傍らには島の祭祀、遺跡に関する説明板が据えられているが、観光客の立ち寄る風はなかった。

夕陽とシラサ
お宮さんの正面、防波堤の付け根から海に突き出た岩場。
シラサと称される、神送りの祭祀を執り行う、島の拝所のひとつ。

古宇利島の南、海岸沿いに位置する拝所
古宇利島 第一桟橋 のほど近く、海岸の道路沿いに小さな鳥居とお社が建てられている。 然して気にも留めなかったのだが、のちに今帰仁村の資料を調べた処、島には七森七嶽の聖地、拝所があり、ここはその内のひとつ。 その通称を「お宮」、正式には「クワッサヤー」と云う、島の中心的な拝所であった。
島には、島の東西南北を始めとする7箇所に御嶽があり、集落のある島の南に神アサギ、祠などが7箇所、合わせて七森七嶽(ナナムイナナタキ)と称する。 島では旧正月を皮切りに十数の年中行事、祭祀が、集落の人々によって継承されている。 それでも神職者(神人:カミンチュ)に後継者がなく、現在は行われていない祭祀もあると云う。 その数多くの祭祀は、ここお宮を始終としてとり行われる。
お宮さんの建立(改築)年は、戦前と云われるも明らかでない。 しかしながら屋根の意匠は、近隣の 渡久地神社 、或いは 並里神社 にも似通っており、同時期の昭和ひと桁に建立されたものと思われる。
当然ながらお宮さんは戦禍をかいくぐり、本島で立上る爆炎を遠望している。
お宮さん
かつての島の玄関口、第一桟橋の近くに建てられた拝所。
傍らには島の祭祀、遺跡に関する説明板が据えられているが、観光客の立ち寄る風はなかった。

夕陽とシラサ
お宮さんの正面、防波堤の付け根から海に突き出た岩場。
シラサと称される、神送りの祭祀を執り行う、島の拝所のひとつ。

Posted by 酉 at 12:00│Comments(0)
│旧跡・文化