2009年10月31日
沖縄での余暇 1
遊技場(マシン屋) 1
何も晴耕雨読、何時でも戦跡・風物を巡ってばかりの一辺倒では有りませんので…。
暑い時には涼みにマシン屋へ、トイレを借りにマシン屋へ、台風が来たら…の体で、沖縄詣での発端は、マシン屋(内地で云う処のパチンコ屋)通いがあったから続いた様なもの。
店内ルールが内地とは異なり、コインはカウンターでまとめ借り、移動も自由で交換率も高かった。 今では内地でも普通ですけどね。
使用コインは500円玉位の大きさで、遊戯台もご覧の通り、内地のそれより巨大な「アップライト型」で、台間・通路も広く、足を組もうが荷物があろうが気にならない環境。
当時暫くの間は、遊戯台の外観と同じく、台の法規制も異なるものと思っていました。
お店のほとんどが全台一機種、営業時間は9時~24時、モーニングは当然で、クジ引きに当たると翌日に高設定台(客の目の前で打込み)を開放(20万超コース)と、後年社会問題化する過激な営業が為されていました。
良く覚えている古い台は、一撃1千枚のユニバ「ダイナマイト」、吸込み式のオリンピア「ビキニ」の2機種。 「ビキニ」では周期を追って、日没から閉店の間だけで常勝し、出入禁止になった思ひ出がありますね。
その後「フェニックス」「トロピカーナ7s」と、"オキナワマシン屋"の全盛期には、パターンを覚える必要の無い、販売店独特の告知機能が付いていました。
写真の台は旧高砂電器製の2号機「アイランド」、中身は同社のスーパーウィンクルでしたが、似て非なるもの。 アップライトの赤ランプが点灯して"当たり"を周囲に知らせる機能になっていた。
余暇とは云うものの、日没後の常連で、旅費を稼ぐほどの世話になった由、追々噺はまだ続く。
今は昔、睡眠時間も気にならない、若かりし時の事。

何も晴耕雨読、何時でも戦跡・風物を巡ってばかりの一辺倒では有りませんので…。
暑い時には涼みにマシン屋へ、トイレを借りにマシン屋へ、台風が来たら…の体で、沖縄詣での発端は、マシン屋(内地で云う処のパチンコ屋)通いがあったから続いた様なもの。
店内ルールが内地とは異なり、コインはカウンターでまとめ借り、移動も自由で交換率も高かった。 今では内地でも普通ですけどね。
使用コインは500円玉位の大きさで、遊戯台もご覧の通り、内地のそれより巨大な「アップライト型」で、台間・通路も広く、足を組もうが荷物があろうが気にならない環境。
当時暫くの間は、遊戯台の外観と同じく、台の法規制も異なるものと思っていました。
お店のほとんどが全台一機種、営業時間は9時~24時、モーニングは当然で、クジ引きに当たると翌日に高設定台(客の目の前で打込み)を開放(20万超コース)と、後年社会問題化する過激な営業が為されていました。
良く覚えている古い台は、一撃1千枚のユニバ「ダイナマイト」、吸込み式のオリンピア「ビキニ」の2機種。 「ビキニ」では周期を追って、日没から閉店の間だけで常勝し、出入禁止になった思ひ出がありますね。
その後「フェニックス」「トロピカーナ7s」と、"オキナワマシン屋"の全盛期には、パターンを覚える必要の無い、販売店独特の告知機能が付いていました。
写真の台は旧高砂電器製の2号機「アイランド」、中身は同社のスーパーウィンクルでしたが、似て非なるもの。 アップライトの赤ランプが点灯して"当たり"を周囲に知らせる機能になっていた。
余暇とは云うものの、日没後の常連で、旅費を稼ぐほどの世話になった由、追々噺はまだ続く。
今は昔、睡眠時間も気にならない、若かりし時の事。
Posted by 酉 at 12:00│Comments(0)
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