2012年06月24日

沖縄県外の戦争遺跡 39

広島市宇品海岸 5 宇品港軍用桟橋跡 前篇
かつて陸軍の兵站基地であった 宇品周辺、
 そこに散在する旧陸軍に関連する遺構の数々。
陸軍の軍用港と変貌した宇品港、その中心的施設、陸軍桟橋跡。

「みなと公園」の南、海側には「宇品波止場公園」と称する臨海公園が立地。 その西側、宇品島に面する岸壁には、石積みの古めかしい岸壁が一部残されている。 南寄りには巡視船艇が繋留され、現在の名称「六管桟橋」その由来がうかがえる。 しかしかつてここは「陸軍桟橋」と称され、陸軍の輸送船、艀などの専用桟橋。 専ら将兵の出征と帰還、そして兵站を支える物資の積み出しに用いられていた。

陸軍桟橋の竣工は明治35年といわれ、日清戦争の際は専ら艀を用いていたと思われる。 敗戦直後の航空写真に拠れば、その総延長は150メートル余り、細長い桟橋が南へ伸びている。 見る限り100メートル程は突堤が築造され、先端は桟橋構造らしく細い。 宇品線は支廠倉庫のある宇品駅とは異なる軌道、桟橋の付け根へ向かう引き込み線が敷設されていた。
日清戦争の以降、戦火戦雲の昇る度、ここへ宇品線を経由して将兵、軍需物資、或いは糧秣支廠の加工調達した糧食は集められ、更に桟橋より輸送船の船倉へ積載され、戦地へと向かった。

桟橋東側は埋め立てが進み、かつての面影は見られないが、僅かに残された築造護岸の石積みと金属プレートが往時を伝える。

 宇品港軍用桟橋跡
僅かではあるが突堤に用いられた石積み/石畳が残され、説明板も据えられている。
後方には小型の巡視艇、今は浮桟橋に舫われている。
沖縄県外の戦争遺跡 39

 軍用桟橋跡
今は岸壁となったが、かつての軍用桟橋、その突堤法線は南に延び、左手に巡視船の繋がれる様に輸送船、艀が着いていた。 後方は宇品島とプリンスホテル。
沖縄県外の戦争遺跡 39



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