2013年02月27日
沖縄での余暇 32
名護市大東 新山食堂
名護十字路より、南東へ向かう名護大通り。
その商店街を外れ、住宅地に営業する老舗のすば屋さん。
休日も、ひと気の淡い名護十字路。 その活気溢れる情景も見た事はないが、昭和の末より年々歳々シャッターの閉ざされた店舗、歯抜けとなった間口は増え、好転する兆しは見られない。 残念ながら、それは内地でも同様の景色。 郊外型の大型小売店舗の進出により、駅前商店街には閑古鳥が鳴き、寂れ行く港町もが重なって見える。 しかし何れも、消費者が選択した結果である。
その様な名護市街、その歴史を傍観して来たのであろう。 新山食堂は時流に揉まれながらも、淡々と80余年もの歳月を重ねて来たと云う。
近隣には 宮里そば が営業し、正直なところ次点なのは否めない。 しかしながら一方は街道沿いに位置し、観光バスも乗り付けることが出来る。 云うなれば「判官びいき」であろうか。 名護宿泊の際は「名護そば」とも称すべき味を確かめに、いちどは訪れるお店である。
同店は既述の様に住宅地の中に立地。 駐車余地は広いものの、一方通行に囲まれている。 その為、移り行く名護商店街の散策と併せ、徒歩で訪れる機会は少なくない。
更なる余談ながら、お店の名前は「新山食堂」と記して「シンザンショクドウ」との読み。 それを以て競走馬シンザンの名を想起するか、或いはパチンコ店を想起するか。 残念ながら競馬への興味は微塵もないが、かつて入港した名古屋港、その昔の景色が心をを過ぎる。
新山食堂
目立たない小ぶりな看板に対し、薄れた塀のペイントが対照的な通りからの様子。
電照看板のない事、それ即ち日没が閉店時刻との意でもあろう。

店舗
駐車場からの同店。
開かれた間口は、さながら民家の佇まいである。

名護十字路より、南東へ向かう名護大通り。
その商店街を外れ、住宅地に営業する老舗のすば屋さん。
休日も、ひと気の淡い名護十字路。 その活気溢れる情景も見た事はないが、昭和の末より年々歳々シャッターの閉ざされた店舗、歯抜けとなった間口は増え、好転する兆しは見られない。 残念ながら、それは内地でも同様の景色。 郊外型の大型小売店舗の進出により、駅前商店街には閑古鳥が鳴き、寂れ行く港町もが重なって見える。 しかし何れも、消費者が選択した結果である。
その様な名護市街、その歴史を傍観して来たのであろう。 新山食堂は時流に揉まれながらも、淡々と80余年もの歳月を重ねて来たと云う。
近隣には 宮里そば が営業し、正直なところ次点なのは否めない。 しかしながら一方は街道沿いに位置し、観光バスも乗り付けることが出来る。 云うなれば「判官びいき」であろうか。 名護宿泊の際は「名護そば」とも称すべき味を確かめに、いちどは訪れるお店である。
同店は既述の様に住宅地の中に立地。 駐車余地は広いものの、一方通行に囲まれている。 その為、移り行く名護商店街の散策と併せ、徒歩で訪れる機会は少なくない。
更なる余談ながら、お店の名前は「新山食堂」と記して「シンザンショクドウ」との読み。 それを以て競走馬シンザンの名を想起するか、或いはパチンコ店を想起するか。 残念ながら競馬への興味は微塵もないが、かつて入港した名古屋港、その昔の景色が心をを過ぎる。
新山食堂
目立たない小ぶりな看板に対し、薄れた塀のペイントが対照的な通りからの様子。
電照看板のない事、それ即ち日没が閉店時刻との意でもあろう。

店舗
駐車場からの同店。
開かれた間口は、さながら民家の佇まいである。

Posted by 酉 at 12:00│Comments(0)
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