2020年04月20日
戦世(いくさゆー) 510
南城市佐敷小谷 慰霊塔
小谷(おこく)集落の外れ、
小谷農村公園の片隅に佇む瀟洒な慰霊塔
小谷集落は津波古の南西に位置し、西側は大里大城に隣接している。 周囲の集落に比べ戸数は少ないようであるが、かつては馬場があり、今でも綱引きが地区の伝統行事として続けられている。 慰霊碑は、小谷農村広場となった馬場跡、その片隅に建立されている。
その意匠は、本部町の 平和の砦 と記される慰霊塔とも異なるが、少々趣きを異にする。
傍らの沿革誌に拠れば、慰霊塔は昭和30年5月30日 自治会により建立されている。 しかし平成19年までの間、塔は4たびの変遷を遂げて現在に至る。 何れも道路の拡幅と旧馬場の整備に伴って辺りを転々とし、或いは不運であったとも云える。 しかしながら、斯様な機会の度に廃されることなく塔が遷移、改修されたことは、小谷の集落ならではと思われる。 この瀟洒な塔の意匠は、この辺りに関係するのであろう。
慰霊塔
全体を御影石で整えられた小谷の慰霊塔。
碑には小谷出身の戦没者、軍人軍属等63名、一般人110名の氏名が刻まれている。

景色
公民館の近隣、馬場跡の片隅に遷移された慰霊塔。

小谷(おこく)集落の外れ、
小谷農村公園の片隅に佇む瀟洒な慰霊塔
小谷集落は津波古の南西に位置し、西側は大里大城に隣接している。 周囲の集落に比べ戸数は少ないようであるが、かつては馬場があり、今でも綱引きが地区の伝統行事として続けられている。 慰霊碑は、小谷農村広場となった馬場跡、その片隅に建立されている。
その意匠は、本部町の 平和の砦 と記される慰霊塔とも異なるが、少々趣きを異にする。
傍らの沿革誌に拠れば、慰霊塔は昭和30年5月30日 自治会により建立されている。 しかし平成19年までの間、塔は4たびの変遷を遂げて現在に至る。 何れも道路の拡幅と旧馬場の整備に伴って辺りを転々とし、或いは不運であったとも云える。 しかしながら、斯様な機会の度に廃されることなく塔が遷移、改修されたことは、小谷の集落ならではと思われる。 この瀟洒な塔の意匠は、この辺りに関係するのであろう。
慰霊塔
全体を御影石で整えられた小谷の慰霊塔。
碑には小谷出身の戦没者、軍人軍属等63名、一般人110名の氏名が刻まれている。

景色
公民館の近隣、馬場跡の片隅に遷移された慰霊塔。

Posted by 酉 at 12:00│Comments(0)
│慰霊碑
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