2020年04月19日

戦世(いくさゆー) 509

南城市佐敷津波古 慰霊塔
津波古集落背後の高台、
津波古児童公園の高みに佇む慰霊塔

戦前は馬天港を中心として、海軍の補給基地となっていた津波古集落だが、 運天港 と同じく、今や周辺に旧海軍の痕跡は見られない。 距離を隔て与那原町に 射堡指揮所 、新里に 給水施設跡 が遺るのみ。 敗戦後は米軍の補給地となり、県道の東は倉庫が並んでいた。 馬天児童公園の南、海軍桟橋跡に広い道路が整備され、漁船の引き揚げスリップに水上機の整備場を彷彿とさせる。 港では内地へスクラップの積出しも行われていたが、今や舫われるのは小型漁船のみで、商船の入出港は見られない。

津波古の慰霊塔は、そのような港町を見下ろす高台に建立されている。

記録では、昭和29年12月 津波古自治会により建立、昭和45年11月に改修され、現在の姿となる。 碑の台座には刻銘版が嵌められ、石板には集落の戦没者211の氏名、うち207名が太平洋戦争(大東亜戦争)中の戦没者として、軍人軍属、一般の別で刻まれる。 そこは津波古児童公園として整備された丘陵の中腹ながら、碑は拝所の社に隣接し、集落の聖地にあたる場所と思われる。

 慰霊塔
コンクリート製の塔には、表面に慰霊塔と刻まれる。
台座には、琉歌と戦没者名の刻まれた黒御影の石板が嵌められている。
津波古 慰霊塔

 景色
慰霊塔より望む馬天港と津波古の市街。
残念ながら休憩所のゴミ入れが溢れ、ごみが散乱していました。
佐敷湾

※地図は Google Map へジャンプします※


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Posted by 酉 at 12:00│Comments(0)慰霊碑
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