2020年07月23日
戦世(いくさゆー) 514
南城市佐敷伊原 慰霊之塔
伊原集落の西寄り、
広場の一隅で集落を眺める慰霊塔
伊原(イバラ)集落は 屋比久 の東に位置する。 凡そ知念半島の中心にあたり、東側は旧知念村に広く接している。 かつては集落の大半を山林が占めていたが、今は殆どが造成され、ゴルフ場に均されている。
伊原の慰霊塔は、住戸の集まる中心域、伊原(農村)運動広場の一隅に建立されている。
県の資料によれば、慰霊塔は昭和35年1月15日、区の 自治会によって建立されている。 碑には地区出身の戦没者51名が祭られ、うち29名が沖縄戦による戦没者とされる。
塔の台座には、戦没者名の刻まれた黒御影の石板が嵌められているが、軍人(31名)、軍属(11名)、民間人(9名)の別に氏名が並ぶ。 軍人は全て陸軍兵士、階級別、更に集団別に刻まれており、沖縄戦の以前、上海・日華事変などに於ける戦没者が多かったと見られるが、残念ながら仔細は記されていない。
慰霊之塔
伊原運動広場の東に佇む慰霊塔。

塔遠景
広場を挟み、山並みを背にする慰霊塔。
一見長閑な景色ながらゴルフ場は間近に迫り、星空は光芒に霞んでいた。

伊原集落の西寄り、
広場の一隅で集落を眺める慰霊塔
伊原(イバラ)集落は 屋比久 の東に位置する。 凡そ知念半島の中心にあたり、東側は旧知念村に広く接している。 かつては集落の大半を山林が占めていたが、今は殆どが造成され、ゴルフ場に均されている。
伊原の慰霊塔は、住戸の集まる中心域、伊原(農村)運動広場の一隅に建立されている。
県の資料によれば、慰霊塔は昭和35年1月15日、区の 自治会によって建立されている。 碑には地区出身の戦没者51名が祭られ、うち29名が沖縄戦による戦没者とされる。
塔の台座には、戦没者名の刻まれた黒御影の石板が嵌められているが、軍人(31名)、軍属(11名)、民間人(9名)の別に氏名が並ぶ。 軍人は全て陸軍兵士、階級別、更に集団別に刻まれており、沖縄戦の以前、上海・日華事変などに於ける戦没者が多かったと見られるが、残念ながら仔細は記されていない。
慰霊之塔
伊原運動広場の東に佇む慰霊塔。

塔遠景
広場を挟み、山並みを背にする慰霊塔。
一見長閑な景色ながらゴルフ場は間近に迫り、星空は光芒に霞んでいた。

Posted by 酉 at 12:00│Comments(0)
│慰霊碑