2021年09月01日

碧血の島 43

防災の日 2021年
関東大震災に因む日本の記念日であり、
 災害についての啓蒙を深める日。

今年もまた、墨田区の東京都横網町公園 東京都慰霊堂 では、秋季慰霊大法要がとり行われる。 昨夜からの雨が残る、生憎の空模様ながら、熱帯夜から解放された朝の空気は、僅かながら涼しく感じた。

今から15年前、平成18年8月末の夕刻、筆者はUターンに混雑する福岡空港に在った。 韓国 蔚山での用務の帰路、東京便に空席はなく、早い便への振替を諦め、テレビを見ながら時間を過ごしていた。 そのニュース映像には、日本からの2016年夏季五輪立候補地が東京に決まり、歓喜する福岡市の人たちがあった。 正確に云えば、五輪の福岡招致反対を訴える市民の姿であった。 筆者は「尤もな話だ・・・」と思ったが、この様な伏線があろうとは思いもしなかった。

2年目のコロナ禍、現在を第5波と呼称しているが、公表されるデータに第1・第2波の死者・感染者数など、グラフの縦軸の中に埋もれている。 また、8月半ばより日々の感染者数こそ減少しているが、全国で日々50名前後、うち10数名の命が都内で消えている。 巷では、口先だけの「感謝」と「災害級」の実情が謳われているが、況や人災と筆者は考えている。 今年のメダルの重さは、さぞや肩に重いことであろう。

閑話休題
この供養塔は、大横川沿いの 慰霊碑 を訪ねた際、偶々行き会った塔である。 背の高い石には「大震災横死者供養塔」と刻まれているが、その表面は黒く煤け、文字の一部は欠落している。 裏面には13回忌の節目にあたり、高野山関係の有志が建立した事が記されている。 文字通り、震災犠牲者の慰霊碑であると同時に、戦禍の様相を今に遺している。

今は地名にのみ歴史を遺すが、附近は木場と称され、多くの貯木場、水路が設けられていた。 震災の後には、隅田川より多くの遺体が流れ着き、空襲には、焼け野原となった地域である。 塔は震災の犠牲者を悼み、昭和10年9月1日に建立され、昭和20年3月10日に業火に沈んだのであろう。 建立と地域に関する仔細を訪ねたく思うが、災害級の時節の下、暫時見合わせている次第。

 大震災横死者供養塔
煤けた供養塔は、公園内でやや不自然な向きに佇んでいる。 その理由が移設した為か、区画整理など周囲の事情によるものか、明らかにしたく思ふ。
供養塔

 慰霊塔遠景
沢海橋第二児童遊園の奥に佇む供養塔。
入口右手には、町会の建立した皇太子(現上皇様)御降誕記念(碑)が立つ。
沢海橋 東詰

※地図は Google Map へジャンプします※


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Posted by 酉 at 12:00│Comments(0)慰霊碑
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