2009年12月07日
戦世(いくさゆー) 8
南風原町 県鉄糸満線 18
沖縄県営鉄道 糸満線の悲劇 列車大爆発事故1
昭和19年7月10日 第9師団の那覇上陸前日、通常ダイヤによる最後の営業運転を終えた県鉄は、翌日より事実上、軍用列車としての運行を余儀なくされ、悲運の道、終焉へと歩み始めた。
昭和19年7月11日 那覇埠頭へ上陸を開始した第9師団を大山停車場以南の南部島尻地区へ。
同年 8月 7日 同 第24師団を最北の嘉手納停車場へ。
同年 8月20日 同 第62師団を平安山から城間停車場の嘉手納線沿線へ。
列車の運行時刻も不定期な中、朝夕に旅客列車をも運行し、健気に兵站輸送の任務を全うして行った。
昭和19年10月10日 「那覇10.10空襲」により、那覇駅舎焼失、機関車6両(汽車2両/ガソリンカー4両)と客車6両も被弾焼失。 運休の止む無きに至るが、軍の要請により、11月上旬には運行を再開するも、再び兵站輸送が開始されたに過ぎない。
昭和19年11月13日 第9師団の台湾転用が決すると、県鉄の兵站輸送は再び慌しくなった。
第9師団の那覇港への輸送。 引き続き、配置転換の第24師団を南部島尻へ輸送する任務に就く。
昭和19年12月11日 嘉手納発の6両編成の汽車は、武器弾薬と兵士150名を乗せて昼過ぎに発車。 小波蔵停車場で給水/給炭と、ガソリン入りのドラム缶を積載した貨車2両を増結。 兵士60名と女学生10名が乗車し、更に最後尾に汽車を連結して小波蔵を発車した。
喜屋武停車場で女学生を便乗させた列車は、稲嶺停車場への上り勾配を喘ぎながら上っていった。
時刻は15時30分頃、 場所は神里集落を右手に見る切り通し。 列車は突如「大爆発」を起こしたのだった。
写真は南風原町神里集落の東端、アブガーモー跡から見下ろす事故現場。 列車は道路奥、喜屋武方面から進行し、カーブを抜けた写真の右下辺りで大爆発を起こした。
沖縄県営鉄道 糸満線の悲劇 列車大爆発事故1
昭和19年7月10日 第9師団の那覇上陸前日、通常ダイヤによる最後の営業運転を終えた県鉄は、翌日より事実上、軍用列車としての運行を余儀なくされ、悲運の道、終焉へと歩み始めた。
昭和19年7月11日 那覇埠頭へ上陸を開始した第9師団を大山停車場以南の南部島尻地区へ。
同年 8月 7日 同 第24師団を最北の嘉手納停車場へ。
同年 8月20日 同 第62師団を平安山から城間停車場の嘉手納線沿線へ。
列車の運行時刻も不定期な中、朝夕に旅客列車をも運行し、健気に兵站輸送の任務を全うして行った。
昭和19年10月10日 「那覇10.10空襲」により、那覇駅舎焼失、機関車6両(汽車2両/ガソリンカー4両)と客車6両も被弾焼失。 運休の止む無きに至るが、軍の要請により、11月上旬には運行を再開するも、再び兵站輸送が開始されたに過ぎない。
昭和19年11月13日 第9師団の台湾転用が決すると、県鉄の兵站輸送は再び慌しくなった。
第9師団の那覇港への輸送。 引き続き、配置転換の第24師団を南部島尻へ輸送する任務に就く。
昭和19年12月11日 嘉手納発の6両編成の汽車は、武器弾薬と兵士150名を乗せて昼過ぎに発車。 小波蔵停車場で給水/給炭と、ガソリン入りのドラム缶を積載した貨車2両を増結。 兵士60名と女学生10名が乗車し、更に最後尾に汽車を連結して小波蔵を発車した。
喜屋武停車場で女学生を便乗させた列車は、稲嶺停車場への上り勾配を喘ぎながら上っていった。
時刻は15時30分頃、 場所は神里集落を右手に見る切り通し。 列車は突如「大爆発」を起こしたのだった。
写真は南風原町神里集落の東端、アブガーモー跡から見下ろす事故現場。 列車は道路奥、喜屋武方面から進行し、カーブを抜けた写真の右下辺りで大爆発を起こした。
Posted by 酉 at 12:00│Comments(0)
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