2010年08月10日

戦世(いくさゆー) 73

本部町 八重岳と周辺 2
本部半島の中心部、本部町と名護市の境に位置する峻険。
眞部山の山嶺を見渡す、八重岳の斜面に佇む、三中学徒之碑 / 前編。

本部半島を確保すべく八重岳に拠るのは、独立混成第44旅団 第2歩兵隊(球7071)、別名を国頭支隊。 しかし第1大隊を伊江島に、第3大隊を島尻に割かれ、本部直率は第2大隊のみ。 編成は本部、通信隊、歩兵砲、速射砲と、歩兵1コ大隊(1Bn=3コCO + MGC)、総勢約1,000名。 加えて昭和20年3月、泥縄の第1次/第2次防衛召集者、約850名が加わる。
隷下部隊は、特設警備第225中隊、独立重砲兵第100大隊/独立小隊、第3/4遊撃隊、海軍第9砲台、船舶工兵隊、第1特務班、野戦病院八重岳分院、軍通信隊、約1560名の他、鉄血勤皇隊 149名が加わっていた。

第2歩兵隊 鉄血勤皇隊は、主に県立第三中学校の生徒で編成され、南部へ戻れなくなった県立二中の生徒も属していた。 県立三中の生徒は、第3遊撃隊150名、通信隊にも66名が従軍。 他にも繰上げ卒業、即日召集された生徒もあったと云う。
隷下の第4遊撃隊には、沖縄水産学校より27名。 沖縄陸軍病院へは、第三高等女学校より10名が従軍。 那覇市立商工学校の生徒も従軍したと見られるが、その配属は定かでない。

鉄血勤皇隊、第3遊撃隊、通信隊夫々に於ける三中生徒の戦没者数は、12名、12名、11名の、合計35名。 他に護郷隊隊員、即日召集された生徒、教職員等の戦没者が祭られ、併せて慰霊碑には87柱の戦没者名が刻まれている。

 三中学徒之碑
八重岳山頂の手前にあり、多くの人の目に留まる。 但し気に留める方々も、この山野が戦場だった事、小中学生までもが従軍し、山谷に斃れた事を想像出来るであろうか。
戦世(いくさゆー) 73

 早春にて
寒緋桜の時季には早い候。 閑散とした平日の慰霊碑、偶々行き逢った第三中学出身、元鉄血勤皇隊隊員の方。
戦世(いくさゆー) 73



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Posted by 酉 at 12:00│Comments(0)慰霊碑
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