2010年10月10日

戦世(いくさゆー) 106

那覇市 若狭 なぐやけの碑
波の上、希望ヶ丘公園の一隅に佇む慰霊碑、なぐやけの碑。

今年も再び、10月10日が巡って来た。 いわゆる「祝日法」の改正以来、「体育の日」とは称されず、祝日、休日とは、必ずしも重ならない10月10日。 しかし今年は日曜日と重なり、三連休の中日となった。 時を同じく催される、「第40回那覇まつり」への客足も、多分に勢いづく事であろう。

那覇まつりの主だった催事は、現在、奥武山公園、国際通りで行われ、メインの大綱挽は、久茂地前の国道58号線を会場とし、これは余りにも有名な事である。

方々で数多の人々が集い、笑顔が交わされ、歓声がこだまするなか、那覇港の片隅となった波の上ビーチ。 その広場に於いて、比べればひっそりとした慰霊祭が、毎年催される。 祭壇の後方には「なぐやけの碑」、10.10.空襲の犠牲者を弔う、「なぐやけの碑 慰霊祭」が行われている。
碑は平成7年、市が恒久平和のモニュメントとして建立。 10.10.空襲犠牲者と共に、沖縄戦に散った、那覇市出身戦没者名簿が納められ、ここに祭られている。

年毎に、那覇まつりに於いては万余の桁で、参加者、人出は増加する。 一方、10.10.空襲の慰霊祭(なぐやけの碑 慰霊祭)は、余りにも静かである。 ここ数年、新報の報道記録を辿ると、近年は参列者も減少の一途、200名内外の参列者とある。 数年前のこと、本部町の軍艦迅鯨 慰霊祭が終焉を迎えた様に、遠くない未来に絶えようかと、気掛かりな処である。

那覇まつり、那覇大綱挽き復活への由来、志も、今は特に周知をされず。 当然ながら、それを知る者など僅かな事と思われる。
それが延いては、沖縄戦、沖縄への理解が薄れる事へとなる。 那覇まつり主催者も、果たして思慮あるものかと。 戦後の復活に、奔走した人々の遺志は、何等継承されず、絶えて久しいと見へる。
形式ばった「まつりごと」を好まぬものの、今年は「なぐやけの碑 慰霊祭」に参列しようかと思ふ。

 なぐやけの碑
正式には「恒久平和のモニュメント なぐやけ」と称する。
「なぐやけ」は「穏やか」「和やか」という沖縄の古語で、いつまでも平和でありますようにとの祈りが込められています。(碑文より)
申し訳ないが、碑文を読むまでは、慰霊碑の類と思へなかった。
戦世(いくさゆー) 106



タグ :那覇市

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Posted by 酉 at 12:00│Comments(0)慰霊碑
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