2014年05月23日

大和世(やまとゆー) 321

今帰仁村上運天 上運天 慰霊塔
今帰仁村内、各集落の慰霊碑(その6)
上運天集落の戦没者を祭った慰霊碑、上運天慰霊塔


上運天の慰霊塔は、運天港から離れた集落北の丘陵、かつては聖地であったと思われる、緑溢れる丘陵の一隅に立てられている。 この時は、特に塔を訪ねた訳でもなく、運天港より集落を徘徊していた際、コンクリートで造られた古い階段、参道の入り口を目にした処に端を発する。 経験上、古い階段、小径を登った先には慰霊碑、拝所などが位置し、時として忠魂碑(跡)、戦勝・即位などの記念物が存在する。 この時もそれを確かめに向かい、数十段の階段を駆け上がった次第。

その階段の上に位置したのは上運天の慰霊塔、しかし参道は雑草が生い茂り、倒木・折れ枝が行く手を阻んでいた。 この時は4月と、その時季ではないにせよ、倒木は半年ほど放置された物、落ち葉は積もり放題、枯れた香華さえもなく、人の寄りつかぬ場所である事が見て取れた。
仕様もなく写真を撮影する前に倒木と枯れ枝を除き、雑草を大まかに刈る。 山中ではよくある事ながら、集落の慰霊碑で斯様な事をするとは思いもつかなかった。

碑の表面には「慰霊塔」の3文字、背面には建立年月日が「一九五二年拾月一日吉日 上運天青年団建立」と、何れの文字もコンクリートに直接刻まれている。 しかし塔下部の戦没者刻銘と碑文には黒御影の石板が嵌められ、後年の改修によるものと思われる。 特に戦没者刻銘は「陸軍の部」32名、「海軍の部」8名、「ひめゆり部隊」1名に続き「戦闘協力者」として、男女17名の名前が並んでいる。 因みに戦闘協力者とは、援護法を拡大適用するにあたり、専ら使用される言葉である

 上運天慰霊塔
集落の北寄り、緑に包まれた小高い丘陵に位置する。
大和世(やまとゆー) 321

 同 背面
住宅域から遠くない場所に位置するも、雑草・倒木に埋もれる有様であった。
大和世(やまとゆー) 321

地図はこちら
※上運天公民館近く ※


タグ :今帰仁村

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Posted by 酉 at 12:00│Comments(0)慰霊碑
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