2017年02月28日
戦世(いくさゆー) 499
今帰仁村古宇利 お宮 後篇
古宇利島の南、海岸沿いに位置する拝所
沖縄の風俗に無関心ではないが、特に造詣が深い訳でもない。 通り掛かりの拝所であれば、一礼してひと回りし、その場を去るのが常であるが、ここでも奇妙な痕跡を見つけた。 防波堤から第一桟橋を臨んだのち、帰り掛けに立ち寄ったのだが、立ち去り際であった。 沖縄の拝所、御嶽にて往々見かける鳥居だが、このお宮さんの入口にも、神域との境界を示す鳥居が立っている。 小振りの鳥居を潜り、俗世から振り向いた処、その左の柱には、一目で判る弾痕が刻まれていた。
沖縄戦当時、古宇利島の人々は島の西に位置する海蝕洞スルルガマへ難を逃れていた。 昭和20年4月、敵の上陸より間もない時期に投降、田井等の収容所などで生活し、戦闘の終結後、同年10月には帰島を許され、戦後は他の地区と比べ、比較的平穏であったと云われる。
祭祀を継承し、聖域を護る中、この弾痕は意味を持って遺されているものと思われる。
お宮さん
潮風から守るためか、お社・鳥居には塗装が施されている。
弾痕は鳥居の左の柱、上部に刻まれている。

弾痕
鳥居の左柱上部、13ミリ弾程度の明瞭な弾痕が臨める。
並里神社 などと同様、空襲によるものと思われるが、委細は不明。

古宇利島の南、海岸沿いに位置する拝所
沖縄の風俗に無関心ではないが、特に造詣が深い訳でもない。 通り掛かりの拝所であれば、一礼してひと回りし、その場を去るのが常であるが、ここでも奇妙な痕跡を見つけた。 防波堤から第一桟橋を臨んだのち、帰り掛けに立ち寄ったのだが、立ち去り際であった。 沖縄の拝所、御嶽にて往々見かける鳥居だが、このお宮さんの入口にも、神域との境界を示す鳥居が立っている。 小振りの鳥居を潜り、俗世から振り向いた処、その左の柱には、一目で判る弾痕が刻まれていた。
沖縄戦当時、古宇利島の人々は島の西に位置する海蝕洞スルルガマへ難を逃れていた。 昭和20年4月、敵の上陸より間もない時期に投降、田井等の収容所などで生活し、戦闘の終結後、同年10月には帰島を許され、戦後は他の地区と比べ、比較的平穏であったと云われる。
祭祀を継承し、聖域を護る中、この弾痕は意味を持って遺されているものと思われる。
お宮さん
潮風から守るためか、お社・鳥居には塗装が施されている。
弾痕は鳥居の左の柱、上部に刻まれている。

弾痕
鳥居の左柱上部、13ミリ弾程度の明瞭な弾痕が臨める。
並里神社 などと同様、空襲によるものと思われるが、委細は不明。

Posted by 酉 at 12:00│Comments(0)
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